新しいものが好きとか、古いものが好き、という差異は何が原因で生じるのだろう、とたまに思う。
自分がリアルタイムで経験しているものが好きなら「新しいものが好き」ということになり、そのまま年齢を重ねても嗜好が変わらなければ「古いものが好き」ということになる。これは時間の経過によってそうなるだけの話で、では自分がリアルタイムで経験していないものが好きになるのはどういう理屈なのか。
というのも、自分がこれまでの人生で何かをいいなと思う場合、かなりの割合が「過去のもの」なのだ。
20代あたりはまだ同時代のものに関心が向いていたけれど、音楽の趣味はその当時で止まっている。90年代かそれより前の時代の洋楽しか聴かない。日本語の音楽に至っては戦前の演歌師とか、あとはせいぜいグループサウンズあたりまで。老人ホームのカラオケレクリエーションのヒット曲みたいな内容。
小説に至っては、……海外の作家ならまあ時代はあんまり問わないか。でも基本的に古いものが多い。が、日本語文学であればやっぱり90年代まで、というか、今も生きている作家で新しい作品も読んでいるのは目取間俊だけだ。村上龍もまだ生きているけれど、読んだ作品でいちばん新しいものは2000年の作。
なんでこんなことをつらつら考えてしまったかというと、新しいベストアイズコレクションを読むついでに過去の号(ヤフオク等でちびちび集めた)を読んでみたら、圧倒的に古い号の作品の方が好みに合ったからである。
まずは写真左上の2008年春夏号を見てみると、襟元にオーガンジーを縫いつける作品に目を引かれた。 模様が面倒な気配があるが、襟や袖の開き具合に加えて微妙にルーズな感じが気になった。特徴的な毛糸を使っていないようなので、代用糸も探しやすそうだ。 なお、この号は「自分に似合うとは思わないけれど見ていて目が楽しい」と思うページが多かった。たとえばこちら。
編み物本ってどうして野暮ったいんだろう、とよく思うのにこの号はそういう気がぜんぜんしなかった。自分の趣味には合わないがおしゃれだと思う。珍しいことに。 右上の2009年秋冬号は、なんといっても表紙の作品。
これは次に編むか!と思ってしまったが、指定の毛糸は廃番のようだ。似た色を探すにしてもどうだろう……というか、なんとなくおばあちゃんカラーな感じがする。でも妙にかっこいい。 ちなみに、作品ページはこんな写真。
こりゃまた着こなすの難しい感じだな。そして冷静に見ると変な服だし変な色。変なんだけど、なんだかかっこいい。なぜだ。自分の嗜好がよくわからんな。 それにしてもこの写真、編み物本という気がしない。VOGUEとかSPURだよと云われたら信じてしまいそうだ。他の作品についてもだいたいそんな感じ。
と、10年以上前の号を楽しく読んだが。
最新号は……
3回くらい読み返して、まあこれならなんとなくいいかな、というのをひとつだけ見つけた。
……いや、別にいらないかな……うーん、悪くないけどなくてもいいや。くらいな感じ。そう、悪くはない。でも編みたいと思わせる決定打が見つからない。色のせいかなと思ったけれど、いくつかバリエーションを考えてもやはり別にいいやという感想は変わらず。 そして他の掲載作品は安定の「野暮ったいな」という感想。いやいやいや、今時のモードなニットなのになんで今回は好みに合わないのか。
テーマが谷崎潤一郎の「細雪」だからかなあ……読んでないしな。「痴人の愛」だったら違うかもとも思ったけれど、あの作品のイメージでどういうニットが編めるのか。できんのかそんなことと思ったりする。
ともあれ。
やっぱり自分の趣味嗜好は古い。なんでだろうな。
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