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またおかしなことを考える

 レース編みの本は新品だけでなく、古いものや絶版本も探して購入している。古い本には引き上げ編みを使った立体的なデザインがほとんどないので長らく無関心だったのだが、たまに魅力的な作品があったり、きれいに編むのが難しそうなものが載っているとわかってしまったので、自制するのが大変である。
 そのうえ最近、洋書にも手を出し始めた。
 ネット経由でドイリーの英文パターンを眺めたりするのに、どういうわけか、海外のレース編みの本には思い至らなかった。たまたまRavelry絡みで見知っていたデザイナーの本を見つけたのが端緒で、そのあと小さめのドイリーがたくさん載っている本も見つけて買ってしまった。
 新品であれば、円安ということもあって手を出すのを躊躇できたと思う。しかし古本なので安かった。安かったのでつい買ってしまった。

 無闇やたらと本ばかり増やすな。と思う。とっても思う。

 別に「どうせ買っても今すぐ編むわけじゃないだろう」という理由で自分に呆れているわけではない。見ているだけで楽しかったり心躍るというのなら、30年先まで編まなくてもまったく問題はないと思う。問題は、いろんなものを見たらますます関心が増して本は増えるしドイリーばかり編むし、と拍車がかかりすぎるんだからいいかげんにしろよ、ということだ。
 まあ、別にドイリーばかり編んでもいいんだけどな……でも「レース編み=ゲーム」という感覚があるせいか、ドイリーを編みまくることがスマホゲームばかりやっているみたいな気がしてしまうのだ。

 おまけに、買った洋書をしばらく眺めて楽しんでいるうちに「そうだコレ全部40番で編んだらボーゲンレースを40番で編んでみよう」などとアホの極みなことを思いついてしまった。ドイリー101番勝負かよ。寝言は寝て云え。
 しかしそんな寝言を「40番で編む特訓になっていいかも」などと正当化する始末で、ますますファミコンに血道を上げる小学生みたいだ。そんなこと頑張ってどうすんだよ。
 と思うが、編みたいと思ってしまったからには編みたい。



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