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分散できない

 編みかけ、たくさんあるはずなのに。
 結局、あっちもこっちもという編み方はできなくて、「あとはこれだけ」という段階までもっていかないと次のものに着手できないという事態になっている。
 ちなみに袋はまだこのまま。
 あとは糸始末をするだけとか、最後のここを編むだけとか、そういう感じにこれがしばらく編みかけになるのだろうか。……いや、とっとと輪針を抜きたいな。

 袋のあとに着手していたのはカウル。
 先月から利用し始めたNHKオンデマンドで大河ドラマ「平清盛」を最初から見ながら編み進め、あとは伏せ止めをするところまできた。あした使える場面があるから、伏せ止めしてから寝るかな。



 以下は編み物と無関係の余談。



 放映時に評判の悪かった「平清盛」、始まるなり毎回楽しみにして土曜日の再放送まで見ていたが、平家には特に興味はなかった。正直、おおよその知識しかないレベルで、検非違使が現代でいうところのおまわりさんみたいな存在というのも頭から抜けていた始末。
 が、清盛の時代ならば平安末期だから平安文化の再現が見られるかも、という期待で見始めたら、何もかもがおもしろかった。画面が汚いとか名前が似ていて覚えられないとかいろいろ批判を耳にしてもどうでもよかった。
 1,000年近く前の日本がきれいなわけがないし、名前が似ている程度で覚えられないというならむしろテレビに出ている顔も服も髪形も大差ない多数の芸能人の方がわたしは区別できない。要するに関心を持って対象を認識できるかという問題なのになに的外れの文句つけてんだよ意味わかんねえ。

 で、放映当時はとにかくおもしろくて最後は似非専門家レベルに妙に詳しくなったりしたが、こういう土台ができたあとは細かい部分もいろいろ見えてくるので更におもしろくなる。
 たとえば清盛が任ぜられた「北面の武士」という役職があるのだが、ドラマを見た限りでは「業務内容は御所の警備担当、必要な条件は文武両道・眉目秀麗」ということらしい。いやドラマではあんな野卑に描いてるんだから無理あるだろとか、そもそも警護する任に見た目は関係なくね、とか、本筋とは関係ない部分で笑ってしまう。

 それにしても、言葉遣いはまだこのくらいの時代(放送したのは2012年)なら特にストレスなく見られるな。
 先日、いま放送している大河ドラマ(紫式部が主人公だったような)を一度くらいはと思って見てみたのだが、思いっきり平安時代の話なのに言葉が汚くて愕然とした。いやもうまじそれ意味わかんないと驚くばかりで、せっかくの平安時代の建物とか調度とかを眺める余裕すらなく、これは平安時代のドラマを作ろうとする素人の物語で、いま見ているのは出来の悪い劇中劇なのだろうか、と思うくらいだった。

 だって。

 藤原家の公達の一人称が「俺」ってさ。お公家様が「俺」ってさ。
 そんで他人に何かを命じてやらせるときの語尾が「しろ」。いや、そこは「せよ」じゃねえの。

 ものすごい衝撃を受けていて脳裏に浮かんだのは、まさに「平清盛」だった。あれも藤原家たくさん出てくるし御所も出てくるけど皆さんこんな口調だったっけ、いやインパクトが強烈だった藤原頼長なんかは一人称「わたし」じゃなかったかな、青年時代の場面では悪たれだった清盛は「俺」だったかもしんないけどある程度の年齢以降は「儂」じゃなかったっけ、ていうか清盛は公家が嘲笑していた武士だ。「俺」と称する公家はいなかったはず。

 で、今のところNHKオンデマンドで見ている限りではお公家様は「俺」なんて云わない。というか、ほんの10年くらい前に今とは違う言葉遣いをこんくらい混ぜ込んでも普通に意味がわかるのに、なんで今の大河ドラマはまるっきりの現代語なんだ……もうせっかく平安時代が台無しじゃないか。ぜんぜん風雅じゃないぞ。立ち振る舞いも雑だし。
 それとも最近の平安時代はこういうイメージなんだろうか。「あれこれお上品な時代と思われていたけど実は皆さんけっこう現代並みにがさつだった」とか。

 もしかして1970年代あたりの大河ドラマは、更に言葉遣いが違っていたのかもしれない。そのうち探して見てみよう。今やってる大河ドラマは二度と見ない。いやもう今後二度と見られないな、リアルタイムで放送している大河ドラマは……。