編集

編み物は後回し

 旅のおやつ用の巾着はちびちびと編んで、とりあえずひとつは完成したけれど(まだ紐なし)。
 珍しい映画のビデオを入手したので今日は編み物はナシ。
 ビデオだからいつでも観られるっちゃ観られるんだけど、今日ばかりは映画が先だ。





 ここから余談。感動やら健康的な笑いやら何やらが満載の話題作の100万光年彼方の更に先にある90年代ドイツ映画の話。

 編み物を後回しにして観た映画はこれ。
 メルカリのアラートであがってきたやつで(音楽担当のひとりが、新着アラートに設定しているバンドのメンバーだったから)、90年代に『骰子』で見かけた気がするので商品画像を確認したら、パッケージの裏側の内容説明がかなりアレ。斜め読みしかしていないけれど正気じゃない気配。
 でもこれ今を逃したら観られない気がする、と思い、値段も破格だったので衝動買い。

 ビデオテープというのは意外と丈夫で、2年くらい前に入手した1983年発売のビデオはノイズもなくきれいな画質で再生できた。DVDとくらべればそうでもないのかもしれないけれど、ビデオテープの画質に慣れているのでまったく問題なし。むしろビデオの画質の方が好きだしな。
 今回入手したこのビデオも一部ちょっと端にノイズがある程度で、別に美麗な画像がどうこうという作品ではないので気にならない。なんか、自分の目はとことんアナログな気がしてきた。

 で、内容はというと冒頭は「あ、こういう感じ嫌いじゃないな」という雰囲気だったのだけれど、その2〜3分くらいあとからはゲラゲラ笑ってしまうような代物。1993年のドイツ映画だそうで、こんな風体の人がモザイクかけられるような状態で走る場面のロケができてしまう当時のベルリンってスゲエなとか、そんなことを思いながら観ている始末なのでわりと悪趣味の部類。うん、あの冒頭からこう気のふれた感じに振れるとは、嫌いじゃない。
 といっても正気を失ったまんま話が進むわけではなくて、「物語」という枠組みは別におかしくはない。出てくる人が一般でいうところの「普通」とは違っているだけで、品のない場面を並べただけのカスではない。しっかり作られていると思う。いろいろアレだけど。

 けれどもやはりドイツ映画というか、なんというか、登場人物の語彙がたまに「こんな言葉を使うのは冗談なのか、皮肉なのか、それともドイツじゃ普通なのか」と考えてしまうようなものだったりする。いわゆる「哲学っぽい単語」。
 それにいろいろアレとはいえ、考えの深さがやはり異質だよなあなんてことも思った。個人的には心地よい深さなのだけれど、こんな会話は他の国の映画で聞いたことねえな、物事の本質まで見るのが当時のドイツでは当たり前だったのかな、とかなんとか。「ドイツは哲学の国」という思い込みがずっとあるので(最近はそうでもない気配だけれど)、それが裏付けられるような場面が多々あった。いろいろアレな作品だけど。

 なお、こういう代物は「アングラ映画」とか「サブカル」と呼ばれるらしい。この何度も観たくなる感触は「灰とダイヤモンド」と同じなんだけれど、アンジェイ・ワイダの映画はアングラでもサブカルでもないと思うのだが違うのか。
 自分の趣味嗜好につけられている分類というものは、やっぱりよくわからない。万人向けかそうでないかくらいの区別しかわからん。

 さて寝るか、もういっぺん観るか、どうすっかな。