もうソックヤーン買わないぞ。こんだけあるからもう買わん。
と昨年10月に自らを戒め(こうやって写真に撮るとほんと自分に対して言い訳できなくなる)、見やすい場所にこの画像を保存し、ここに写っている以外のソックヤーンを買わずにきた。 以降、7組の靴下と2組のアームウォーマーとお菓子袋をふたつ編み、多少は減った。でももちろんソックヤーンは買わない。編んだものを合計すると500gいくかいかないか程度なので、100g玉がようやく5玉減ったかどうかというレベルなのだ。まだまだ残っている。
それがここにきて、どうしようもなく方針変更しなければなくなった。
これを編まなければならない。
Children of Gaza Socks pattern by Zanete Knits
This toe-up sock pattern features intricate all-over colourwork inspired by traditional keffiyeh patterns - beautiful motifs that carry deep cultural significance. It’s written for four colours, but only two are ever used at a time.
クーフィーヤのデザインを用いた靴下である。
メインは白と黒、足首まわりに少しだけ赤と緑。しかし最初の画像でも明らかなとおり、単色のソックヤーンは茶色だけ。これだけの数があってシンプルな色がないなんて冗談でしかない。
だから、きつい戒めを破ってこの靴下を1組だけ編める分のソックヤーンを買うしかない。
赤と緑は小玉(といっても50g)でいいが、黒についてはパターンを読むと微妙なところ。ぎりぎり足りるか、足らないか、という感じ。おまけに今まで編み込みの靴下を編んだことがないので、少なめで済むのか多めに必要なのかの判断もできない。
仕方ないので赤と緑は50g玉をひとつずつ、白と黒はふたつずつ注文するしかなかった。
今すぐ編まなきゃなんないって、なんで?と傍目には疑問に思えるかもしれない。そのへんは、まあ、ガザだから、としか云いようがない。パターンの名称は "Children for Gaza socks" だが、個人的な思いとしては "All lives for Gaza" くらいなもんである。
社会に出ると、なんでもかんでもはっきり白黒つけなきゃいけない性格の人間は大いに戸惑う。世の中グレーばっかりだ、と。本心もろくに口に出せない。
きっとどこの国でも、「これ以上のことは云ってはならない」と自分にある程度の制限をかけてものを云うのだろうと思う。ドナルド・トランプですら、あれはあれで「口に出していいのはここまで」という一定のラインを守っているはずだ。
それを思うと、この靴下がごく狭い範囲でしかアナウンスされていないのもそういうことなのかな、と思う。
わたしはこのデザイナーさんのInstagramのアカウントをフォローしているが、この靴下のパターンにたどり着くのに少し手間がかかった。そもそも、このパターンはひとつの投稿に名前が出ているのを見つけただけで、その投稿の主な内容もイギリスのチャリティ団体(War Child)に関する内容だった。
新しいパターンなのに、靴下の画像がない。他の投稿にもない。なんでだろう。
ホームページやFacebook(どちらも今回はじめてアクセスした)にも載っておらず、状況が飲み込めないままRavelryのデザイナーページを開いてようやく見つけた。
太平洋戦争への関心から第二次世界大戦にも目が向かい、特に東欧とドイツについてどういうわけだか昔からいろいろと読んだりドキュメンタリーを観たりしてきたので、ホロコーストのうんぬんとかユダヤ人がどうこうという通り一遍の知識はある。
それでも、ガザでの虐殺の過程で欧米諸国がとってきた態度は理解できない。それ以前に、いろいろなことをずっと看過してきた意味すらわからない。なんでこんなにひどいことになるまで放ったらかしで、地獄そのものの状況になってもなお放ったらかしにして、云うこと為すことすべてが今更なのか、どうにも理解できない。
それでもさんざん考えて、もしかすると「触れてはいけないこと」みたいなものなのかもしれない、と思った。たとえば日本でいうと、被差別部落のような立ち位置の事柄。
もちろん被差別部落の問題と、欧米人にとってのユダヤ人とはなんなのか、はまったく違うことだが、「よほどのことがなければ口にものぼらないこと」という部分は似ているのではないだろうか。
そう考えてみると、作者がいつものように「新しいパターンができたよ!」とアナウンスしないのも納得できる。いったい自分のまわりのどこに火種があるのかわからない、という一種の恐れのようなものがあるのだろうな、と。
まあ、たぶんそういうことなのかな、というただの個人的な推測だけれど。
ここから余談。War Child と聞いて思い出したこと。編み物関係なし。
この名前を見たときに「なんか聞き覚えあるな」と思った。およそチャリティに関心のない自分がなんで知っているのか。もしかして、と調べてみたらやはり90年代に発売されたアルバムと関わりがあったようだ。
オアシス、ブラー、レディオヘッドらが参加。ウォーチャイルド救済を目的としたチャリティ・アルバム『ヘルプ』が25周年を記念してリイシュー-rockinon.com|https://rockinon.com/news/detail/195468
なかなかの顔ぶれ……
発表当時、日本の雑誌では「ライヴ・エイドみたいなものじゃなところがいい」という意味のレビューもあったと記憶している。「みんなで世界を救おう」みたいな茶番ではないからいいんだ、と。スターが集まってステージで大合唱とか、まあ確かに茶番劇だな。このアルバムに参加している面々がそんなことやったら、何かの冗談だとしか思えない。
もちろんわたしもこのアルバムを買った。チャリティという気持ちはまったくなくて、好きなバンドがいくつか参加しているから。ただそれだけ。ボスニアの問題は知ってはいたけれど、そことつなげて考えたりはしなかった。
参加しているバンドはそれなりの問題意識を持っていたというか、アルバムの主旨に賛同する気持ちがそれなりにあったから参加していたのだろうとは思う。でもだからといって、問題を直接に取り上げた曲を新たに作ったバンドっていなかったんじゃないだろうか。

The Help Album - Wikipedia
そういう曲がなかった(もともと社会問題をテーマにしている曲はあったかもしれないけれど)のもいいところなのかな、と今では思う。チャリティアルバムなんてものは基本的に参加しているバンドのファンが聴きたいようなものであればいいのであって、それで得た収益でバンドが寄付なりなんなりに使えばOKなんじゃないのかな、と思う。
そう考えるようになったきっかけは、ストーン・ローゼズが5〜6年経ってようやくセカンドアルバムを発表したとき、最初に受けたインタビューが "Big Issue" に掲載されたことだった。
アルバムが出るということで注目されていたわけだが、その注目度を利用して「ホームレス支援のための雑誌に掲載されることで、雑誌の売上(ホームレス支援につながる資金)に貢献しようとした」というバンドの意図には驚かされた。と同時に、そうやって音楽を社会に役立てる方法もあるのか、と衝撃を受けた。
当時の日本ではこの雑誌は知られていなかったが、日本語版が出るようになったときにすぐ「あの雑誌か」と思い出した。
なんというか、音楽やインタビューを通して社会問題を知ることはそれなりにあったのだが、ビッグ・イシューに関するインパクトはすごく強かった。ストーン・ローゼズが意図をもってインタビューを受けただけで「ホームレス支援の雑誌」という認識がすり込まれ、何年も経ってから日本語版が出たらすぐに思い出し、たまに勇気を出して(道端で知らないおじさんに声をかけるのは、わたしは勇気がいる)雑誌を買うようになるのである。とりたててストーン・ローゼズが好きなわけでもないのに。
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