毎晩のように酔っ払うのをなんとかするのは諦めた。問題が起きるほどの深酒をしているわけでもないし、毎晩酔っ払う時期が人生の一時期にあっても別にいいや。
酒を飲みながら本を読んだりギターを弾いたり映画を観たりはできるが、今のところ編み物ができない。でも、一般に難しいと呼ばれるような本も酒を片手にきちとん読めるのだから、編み物だってなんとかできるはずだ。たぶん。
というわけで、飲みながら編み物をやってみることにした。何やってんのオマエという話だが、まともできちんとした取り組みのつもりだ。自分では。
それがまさに昨日のガザの靴下。酔っ払った状態で、アルネ&カルロスのやり方で慣れないつま先を編むという、さすがにバカじゃねと思った。せめて得意のかぎ針編みとか、もうちょっと簡単なやつにしとけよ、と。
結果として、相変わらず簡単ではなくて必死にやっていたらそのうち酔いがさめた。編み込み模様が始まるところまで酔っ払っていたかった。酒を追加するかとも思ったが、すでに深夜なので諦めた。それが昨日の2時とかそのくらいの話。
もちろんそれで話が終わるわけはなくて、昨日の夜遅くから、ノリノリのロックンロールを聴きつつ酔っ払ったまま編むことにまた挑戦した。が、その前に酒が編み物に及ぼす影響を考えてみた。
まず、音楽を聴きながら編むことは今までもやっていたのだから、そこに酒が入るだけである。で、酒が入るとどんな問題が生じるかというと、手元が狂う。要するに、手が千鳥足になるわけだ。
ふらふらと安定しない手元をどうするか。
いや、でも、ギターは酔っ払っても左手はきちんとコードを押さえているし、右手の指もバラバラに動いて弦をとらえているよな……それなら編み針も目指す位置に入れられるんじゃないだろうか。
もしかして、「酔ったら編めない」というのは思い込みか?
いやまさか。
でもどうだろう。少なくともつま先は特におかしなところもなく編めているわけだしな。
わからないまま、とりあえず適当にきのこの炒め物やら何やらを食べながら1缶あけて(本当は酒だけでいいのだが、酔っ払った挙げ句に食事を抜く羽目になるのは目に見えているので敢えて食べるようにしている)、膳を片づけたら編み物の準備。
座椅子をリビングに持ってきて、椅子の上に毛糸と新しい酒。アンテナ線のつながっていないテレビの画面はもう何度観たか記憶にないDVD。 食卓でそのまま編めばいいのになぜこんな手間をかけているかというと、目線がテレビの画面より高すぎるからで、座椅子に座るとちょうどいいのだ。こうやって自分のやっていることを具体的に書いてみると、まるで酒を飲みつつDVDを観るついでに編み物をしているような気がしてきた。なお、印刷したパターンは床に直置きである。
単色でつま先を編んだあとは模様編みが始まる。パターンには図が掲載されているが、わたしは図を見ながら編むのが得意ではないので、1段ずつ編む色と目数を「B1、W2、B3」という感じで書き出す。アドベント靴下のような大きな模様ではないので、酩酊した頭にもきちんと入る程度の並びだ。
タティングレースは手元をそれほど見なくても編めるのだが、さすがに棒針編みは見なければできない。おまけにきちんと数も数えなければならなくて、タティングレースの時ほどには音楽に集中できないのは誤算だった。
が、歌詞をぼそぼそ口ずさみながら頭のなかでは目数を数えていたりもするので、こういう状況で編めるかどうかは編むものによるな、と思った。おそらくあみぐるみは向いていなくて、いつものようなシンプルな靴下はたぶん編める。手元は見なきゃなんないけど。
今回の編み込み模様の靴下は裏側にわたる糸の長さに注意しなければならないので、そういう意味ではやはり飲みながらというのは不向きにも思えるのだが、やってみると意外とそうでもない。
おそらく自分が編み込みに慣れておらず、「編み込みのときは裏側の糸に注意を払う」というのが癖になっているせいだろう。糸を替えて1目編んだら裏側を見る、という一連の動作が不可分のセットになっているというわけだ。
まあ、裏を返せば、手癖でいい感じにやれていることは酔ったらうまくできなくなる可能性もあるということだが。
それにしても、どんどん酔いが回ってきても一向に変なことは起きない。盛大に目を落とすとか、糸を拾いそこねるとか、そのへんは危うさもなく編み進められている。目数の間違いもなしだ。きつく糸を引きすぎることもなく、かといってゆるみすぎることもなく、ひたすら酒と音楽で気分がいい。
ある程度のところで「そういやゲージ放棄したんだっけ」と思い出し、足の先に履かせてみた。
果たして、酔っ払っているがゆえにうまくいったのか、酔っ払っても編む手に影響はない証左なのか、とりあえず判断は保留だ。
コメントを投稿
別ページに移動します