もともとクリムトはどちらかというと好きではなくて、何度かシーレ目当てでウィーン美術の展覧会を観に行ったついでに見ているうちに、気に入った作品が幾つかできた。ただしほとんどは色遣いが少なめの、たとえば「第1回ウィーン分離派展ポスター」のような色の少ないものばかり。一般的なクリムトのイメージである金色がふんだんに使われているものには無関心で、全面に白以外の色が使われているものもだいたい興味なし。
なのになんでこんなの買ったのか。
「メーダ・プリマヴェージ」という作品のイメージだというが、もちろん知っているはずがない。見ればクリムトだなとわかるが、それだけである。
まあ、色はいいんだよな。まず自分では買わないような色が半分以上で、この缶の中身を組み合わせればまとまりのあるものができる、というお手軽に試せる感じと色合わせが簡単だという点に惹かれた、のかもしれない(モネの「睡蓮」がテーマのやつは買っていないが)。
さてこれをどう使うか。この糸はエミーグランデではなく金票40番。敷物のような実用性のあるものはエミーグランデくらいの太さが使いやすいとわかってきたつもりだが、金票40番となると敷物にするには心元ない気がする。
……使い道のないものをレース糸で編むのは今更か。
と、ここまで書いたところで、糸を買うといつもいつも後悔じみたことを書いてしまうのはなぜなのか、自分でも不思議になった。欲しいから買ったのになぜだ?と。云うまでもない。ひとえに「すぐ使わないのに在庫ばかり増やしてどうするんだ」ということに起因するのだろう。
しかし同時に「これでなに編もうかなあ」と心躍っているのも確かだ。まあ、そうでなければ買わない。
だから「なんで買ってしまったのか」などと悔いる必要などまるでないのに、まさか、自分がこれらの糸をきちんと消費する確信が持てないのだろうか。冗談じゃない。きちんと消費しているじゃないか。
だが使い切ったことを忘れて「なんで在庫がないんだ」などとほざいたりしているのだから、「どのくらいあるのか」と同時に「どのくらい使ったか」を明白にしておくべきだろうか。
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