実家に行くと『暮しの手帖』を読む。子供の頃は藤城清治の挿し絵を眺めるのが好きで(文字がとても細かいので物語はあんまり読まなかった。今になって読みたくなっている)、現在は……何を読んでいるのだろう。まあ、最初からページを繰って目にとまったものを読む。
果たして昔からそうだったのかは不明だが、しばらく前から毎回、手芸の記事が載っている。が、いったいどういう熟練度の人を相手にしている内容なのかわからない。わりと簡単なものもあれば、これは基礎をひととおり知っている人でなければ無理では……というものもあるのだ。
おもしろいのは編み物や刺繍といったよく知られている手芸だけではなく、ちょっと聞いたことがないようなものがたまに取り上げられる。北欧のヒンメリのことを知ったのも『暮しの手帖』がきっかけだ。
で、いま発売されている号にはこんなものが載っていた。
折り紙……なのか。これも? 折り紙というと連想するのはこういうやつ。
しかし今回のはこうだ。
確かに折っている。折った紙。だから折り紙。いや確かにそうだが子供の頃にやった折り紙というのは鶴とかやっこさんとか……そう、名前がついているやつ。 だがこれはどうだ。
紙に折り目をつけて模様を作った何か。 もっと細かくてたくさんの精緻な模様ができれば「さざ波」とか「麦畑」とかなんかそんな感じに名を付けられそうだが、このくらいだと「折り目のついた紙」としか云いようがない。
でもこれはレース編みのドイリーに似ている。
かたちも色もまったく違うが、「作るのが妙に楽しくて、難しければますますおもしろく、完成したら使い道がない」という意味においてめちゃくちゃ似ている。
「そんなの作ってどうするの?」と尋かれれば「どうもしない」と答えるしかない。そして完成したら、努力によって成立した造形が無意味に楽しい。何がどう楽しいのか謎だが、なんだかかたちが楽しい。
そして箱にしまい込む。
もっと折り幅を狭くしたら細かい模様ができるかも……などと無駄に発想してしまうのもレース編みと同じ。しかも道具は手のみで材料は紙一枚で済むので、仕事で頭がぎりぎりと締めつけられたあとの気力のなさでも準備は容易だ。よし。明日もっと細かいやつができるかやってみよう。
問題は100均の折り紙が微妙にペラくて、子供のころに使った折り紙のようなしっかりした折り目がつきにくい。せめてスーパーの文具売り場にあるようなやつじゃないと駄目か?

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