宿題となっているのは、いま編み始めている段までである。
と書くと残りは1周未満なので楽勝に思えるのだが、このドイリーは地味に大きいので目数も多いのだ。
過去に編んだもののうち最大のドイリーと並べてみるとこう。
いや、これはブロッキングしたものなので、ブロッキングしない状態で最大のものと比較するべきか。となると、人生初のドイリー(直径15.5cm)だな。
……道理でなかなか1周が終わらないわけだ。でかいよ!
振り返ってみると、レースのドイリー歴は1年半くらい。レースといえば「繊細」というイメージなのに、雑で適当が身上の人間でも初挑戦でそれなりに編める、ということが驚きだった。
で、それに味を占めてあれこれ編み続け、本も何冊か買い集め、レース針とレース糸があふれ……と華麗にレース沼へ顔からダイブ。ファミコンのカセットと攻略本を買い集めるのとなんら変わりない状態である。この歳で。
まあそれを思うと、大人って怖いなあと思う。子供の頃はファミコンカセットや攻略本を買い漁ることなど当然できなかったのに、大人になって働いて自活するようになったらレース編みに関するあれやこれやを買いまくる。いや、「買いまくる」は云いすぎた。こちとら薄給のブラック企業勤務なので、生活を破綻させないためにも自制は必須。常に懐具合と相談のうえ時には買うのを先送りにし、時には許容範囲ギリギリを攻めている。
しかしどのみち傍から見れば「あいつまたレース糸買ってるぜ」な状態である。「家にあれだけあるのにまだ買うのかよ?」と云われたら反論できない。興味のない人にしてみれば、今すぐ使うのでない限りは在庫に在庫を追加するという行動は謎でしかないのだ。
糸と針と本で留まっていればよかったのだが、実は7月から月に一度、レース編みの短期講座に通っている。土曜開催でしかも会場は近場。編み物全般について常に悩みまくって勘でどうにかしている自分にとっては絶好の機会でしかない。
最終回は今月である。正直、もっといろんなものを編んで技術を学びたい。「技術」といってもちょっとしたことなのだが、そのへんを知らないからこそ熟練者の編み方を見ることができたり、何をどう意識して編むのかを質問できるのは大変貴重な機会である。もし今後も同様の講座があるなら受講したい。
と、気がつけばここまで深みにはまっていた。
しかし。
完成品の使い道はない。
レース編みをゲーム感覚でやっているためまたファミコンのたとえになってしまうが、今の自分の状態は「高橋名人か毛利名人の主催するゲーム教室に通ってスーパーマリオをクリアするために必要な技術を学ぶ」というようなものだ。
傍から見ればどう取り繕っても「それがなんになる」である。実生活に何がしかの利益をもたらすものではない。ただただ、「苦手なゲッソーをうまくやり過ごして海中面をクリアできるようになった!」というほんとになんの役に立たない達成感が得られるだけである。
……でもまあ。
趣味というのはそんなもの。
である。
と開き直ろう。開き直るしかない。
余談だが、ファミコン教室のたとえを書きながら「ほんとにあるなら行きたい」と思ってしまった。今も昔もゲッソーが大の苦手なのである。
6年前にこんなものをビックカメラの店先で見つけてなんら迷うことなく衝動買いをした程度には、未だに「ゲームはファミコンかゲームボーイがいい」と思っている。実家にしまわれているファミコン本体をうちのテレビに接続したいとずっと前から思ったりもしている(弟との交渉必須なのでためらっているが)。 ゲームなんてスマホでいくらでも無料で遊べるものがあるが、そうじゃないんだよ!と思ったりしているのでなかなか厄介だと自分でも思う。白黒のチープなドット絵のゲームで充分だと思うのは、ゲームウォッチの記憶があるせいだろうか。それを超えたファミコンとゲームボーイに至っては、充分すぎるほど充分。
ゲーム業界も、ファミコン発売時に小学生だった世代向けに復刻ゲーム機とか発売してくんないかな。介護職時代の同僚いわく、「将来の老人ホームにはファミコンとかがあった方がいい」という。ものすごく納得した。体力や身体の問題で外出できなくなってもこれなら退屈しないぞ。
そうなると職員との間で「ゲームは1時間までですよ」「いやこの面クリアするまで待って」とか、「食事の時間ですから食堂に行きましょう」「じゃあふっかつのじゅもん書いて」みたいなやり取りがあるんだろうなあ……皆さん大人なのでコントローラーの奪い合いはないと思うがどうだろう。でも、ゲームを通して他人とワイワイやれるのは悪いことじゃないと思う。
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