「バカとハサミは使いよう」という言葉に象徴される通り、何事も使い方次第、である。だから表目と裏目も使い方次第でこうなる。
……なんじゃこりゃ。
自分のこの手で編んでいる靴下なのに、写真に撮ったら「これは壺か?」と思ってしまった。これが壺に見える目もどうかと思うが。
でもほんとに靴下に見えない。近づきすぎているから却ってわからなくなっているのだろうか。
あーこれならちょっと靴下っぽく見え、るわけがない。 違和感の原因はたぶんここ。
裏編みの段のあとに続く白い糸の部分がすぼまっているので、靴下らしく見えないのではないかと思う。壺に見えるのもたぶんこのせい。履き口のゴム編みちょっと長いしな。 商品として販売されているキットの説明を書くとまずいと思うので、どう編んでいるのかは写真でお察しいただきたい。いや見たまんまだから書いても問題ないのかな。
メリヤス編み・2目ゴム編み・裏編みの段で構成されていて、編み方を変えるのは毛糸の色が変わるタイミングである。マルティナさんのレリーフ編みと似た感じ(このキットもマルティナさんデザインだが)。
たったこれだけの編み方で……壺に見える。いや壺はともかくこんなにいつもの靴下と違うのかと。そこがびっくりだ。
しかも裏編みのあとの表編み部分がすぼまっている理由がわからない。なんでだろう。履き口と同じようにゴム編み部分がすぼまるのなら理解できるのだが、2目ゴム編みのところはそうじゃないし……これもなんでだ? 段数が少ないから?
前後の段がどうなっているとか、そういうのも関係あるのかもしれないな、くらいまでは考えられたがあとはわからない。そのうち、まったく関係ないことをしているときに急にわかったりするのかもしれないなあ。
技術的には、表目と裏目だけしか使っていない。それも1目とか数目単位で編み方を変えるような模様編みではなく、一部の段だけゴム編み、または裏編み、というだけ。
このくらいの変化のつけ方でここまで変わるとは。組み合わせ次第でもっとおもしろい編み地になるんじゃないかと考えると落ち着かない。変なルールを設けて編んでみたいという妙な実験精神が頭をもたげてくる。
しかし、これは靴下。履くやつ。履いて歩行に耐えうるものでなければ意味がない。
一年ほど前であれば「履いたら変なことになるんじゃないか」と心配になったかもしれない。目数は同じなのに段によってきつさが違う靴下ができあがるんじゃないか、とか。
今はそこまで不安にはならない。履けば結局ぜんぶそれなりにのびて真っ平らになるだろうし、洗濯機の水流に蹂躙されて乾かして、そしたら全体の糸のバランスもそこそこ均等になっていい感じの靴下になるんじゃないかな。などと雑に希望的観測を抱くくらいだ。
そう、棒針編みを始めてそろそろ一年なのだ。いいかげん、ちょっとしたことでは動じない。ただし、本当に些細なことで引っかかって納得いくまで考えたり調べたりするのはもはや当たり前。うん、動じなくなったといっても別に成長したわけじゃないな。
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