モードな服を見るのは楽しい。「こんなのどこに着ていくんだ」という服やメイクは見ていて本当に楽しい。だからInstagramの広告も自分に関係のないものはいちいち「関連がない」を選んでいるが、ヴィトンやバレンシアガといった服飾ブランドについてはそのままだ。
ファッションに興味がないのに楽しいのは、実用性のないものほどおもしろいということなのかな。自分がそういう服を着てみたいとか、何かを取り入れたいということはないのだが。
要するにどのへんに関心を引かれるのか、自分でもよくわからない。なんでこんなもん見て楽しいんだろうと我に返るときもある。ファッションの社会性とか自己表現とかなんとかかんとかもよくわからないし興味もないし。
一時期はモード系ファッション誌を定期的に読んだりしていたが、何年も前からもう読んでいない。なんで読まなくなったんだろうなと改めて考えてみたところ、あるとき「あんまり奇抜じゃなくなってきたな」と感じたのを思い出した。
ということは、意外性に惹かれていたのかもしれない。単にグチャグチャにするだけなら誰にでもできるけれど、ある一定の意思を持って普通を壊すというのは確かにおもしろいことだ。
と考えると、編み物の本や雑誌というのはとても退屈なように思えてきた。というか基本的に退屈だ。なんといっても実用性が第一に考えられているので、ファッションウィークでモデルたちが着ている服のような奇抜さはまずない。使えないもの編んでも仕方ないしな。
ふだん着ていて「なんだあれは」と云われることのないもの。または流行に合った無難なもの。そういったもののなかから自分が着てみたいものを選ぶわけで、実用的ではあるがおもしろさはない。編むことは楽しいけれど。
別にそれでいいのだが。だが、編み物でモード系ファッション誌みたいなやつがあってもいいんじゃないか、とモヤモヤしていた。
で、思い出したのがたぶん2007年頃に何かで見かけたリッチモアの広告だ。下の方に本の広告が載っていて、その表紙(今にして思うとベストアイズコレクションだった)には眉毛がつながったモデルが写っていた。
ああいうのってまさにモード誌ならではの発想じゃないのか。
ということで、先週こちらを購入。
びっくりするような服もメイクもないが、これまで目にした編み物の本や雑誌とはなんだか違う気配。編み物本によくある野暮ったいやつ(個人的意見です)も載っている一方で野暮ったさとは違う奇妙なものもあるけれど、基本的には洒落ているような感じだ。「きれい」が多い感じ。
そういえばなんで編み物って「かわいい」が氾濫しているのかよくわからなくて、きれいな毛糸も「かわいい〜」、シックなニットも「かわいい〜」で済まされていてどうも落ち着かない。すてきとか渋いとかかっこいいって表現が存在しない世界なのかなとすら思う。たまたま見聞きしたものが悪かったのかな。まあ、すてきとか渋いとかかっこいいニットが載ってる本自体あまり目にしないけど(これも個人の価値観による感想です)。
それはともかく、ファッションウィークほどではないがそれなりに目に楽しい本を見つけられて嬉しい。これはバックナンバーを集めたくなるな。
自分でも意外だったのが、最新号(黒っぽい表紙のもの)で編みたいものが5つもあったことだ。全部で30くらいの作品が載っているうちの6分の1を編みたいと思うなんて今までなかったのに。
テーマは1920年代のフランスの画家だという。
※リッチモア・2024春夏シーズンテーマのキャプチャ
このなかで好きな画家ひとりもおらんぞ……そもそもフランスなんてカミュとアルトーとウエルベックが大好きなくらいであとはほぼ関心ないのに。なんでだ。
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