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サイズ調整とか製図とか

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 ゆるい服は嫌だという嗜好が災いして、サイズ調整のやり方について勉強しなければならない羽目になった。
 別に誰に強制されたわけでもない。だが自分の好みに合わないものを自分のために編む者など稀だろう。既成の編み図が自分の嗜好に合わないのであれば、サイズ調整は必然なのだ。たぶん。
 未だに編み図の通りに編むのが精一杯だというのに、どうしてこんなめんどくさい事態になってしまったのか。せめて簡易編み図を見るだけで編めるようになってからにしろと怒鳴りつけたいところだが、こんな自分だからしょうがないかと諦めてもいる。我儘三昧。冷静な部分の自分ができることといったら、欲望の強さを推進力にして不可能をどこまで可能にできるかということだ。
 人の心は善と悪(あるいは天使と悪魔)が戦う様で描写されたりするが、わたしの場合は向こう見ずな浮かれポンチと冷静な管理者の対立である。もしくはバカ殿様と古参の老中。

 なんでこんなに両極端なものが同時に存在しているのだろう、とわりと長いこと悩んできた。冗談交じりに書いたがこの内面の対立は実生活においてけっこうな障害になるのである。物事を難しく考えすぎてバカみたい、では済まない。
 しかも時には、バカ殿様の方は勝手をやりつつも意外と分をわきまえていて、なのに古参の老中が妙に深く考えた挙げ句にバカ殿様の暴走に拍車をかけるという事態も起きる。

 その一例が、「サイズ調整を学ぶならいっそ製図から学んだ方が結果的によいだろう」というもの。
 バカ殿様は特定の部分を自分に合うサイズに変えたいと云っているだけなのに、製図の知識があれば自由自在だと古参の老中が焚きつけるのだ。そんなことをすれば最後、バカ殿様は本に載っている編み図を製図し直すところから始めるに決まっているじゃないか。なんでそんなめんどくさいことやらせるんだよ。
 ちょっとサイズ直して「まあこんなもんかな」で納得させときゃそれで済むのに、わざわざ「よーしぴったり!」まで与えなくたっていいじゃないか。

 まあ、古参の老中はあれやれこれやれと指示を出すだけで、大変なのは実際にやるバカ殿様だけなんだがな……そしてどちらも自分だという。自分で自分をより難しい方へと追いやっているわけで。

 相変わらず仕事は忙しい。少なくとも月末まではこんな状態で、残業時間数が月の上限を超えないよう調整しなければならない始末。だが「来月になったら製図の勉強ができる」というのがちょっとした救いにもなっている。
 仕事より大変じゃないのかと思うが、好きなことなら頑張れる。要するに高すぎる目標に挑むとか困難の打破とか、そういうことに楽しみを見出す質なのだろう。難易度で考えれば退屈な仕事をする方がもっともっと難しいのだが、快楽主義者なのでそれは無理。

 何はともあれ来月になれば難しくて楽しいはずだ、と思いながら製図の方の本をちらりとみたら「原型」という言葉が目にとまった。それが出てくるのか。洋裁の本で勉強しようとして諦める原因となった言葉だ。
 挫折の理由は「原型」がなにを指しているのかわからず、そのとき読んだ本には理解できる説明も載っていなかったから。

 果たして今回の本ではきちんと説明されているだろうか。そこが不安だ。やっぱり時間を見つけて本屋で吟味すべきだったかもしれない。