まだ松の内なのに、仕事が始まった途端に年始の雰囲気が一気に霧散する。海外では元旦以外は正月気分が存在しないそうだが、ちょっと耐えられそうにない。
松の内くらいはどこの会社も休みになればいいのにと思う。もちろん盆暮れ正月が関係ない職業も、松の内の分の代休を取れるような。そんな社会になるのは……望みは薄いか。週休2日が定着しても、総労働時間は昭和30〜40年代の方がずっと少ないんじゃないかと思う。
正月にかかわるものは基本的に好きで、おせちや雑煮やお汁粉は正直なところ年中食べたい。正月飾りも見ていて楽しいから好きだ。子供の頃は道行く車の鼻先に小さな正月飾りがついているのを見ると気分が踊った。変な子供だが実際そうなんだからしょうがない。なんか嬉しくなるのだ、あれは。
が、「初夢」という概念だけはちょっと気に入らない。
大晦日に夜更かしをしたので元日の午前1時頃に布団に入ったのだが、それで見た夢が相変わらずの意味不明な代物だった。
たぶんレコード屋だと思うのだが、左手にフレディ・マーキュリーのCD、というか大きさとしてはMDくらいのものを持っていた。で、右手で箱を漁っていたらU2のカセットテープが出てきて「これはない(=買わない・聴かない)」と思った、という夢。わたしはフレディ・マーキュリーもU2も好きではない。
こんな意味のわからない内容で一年を予測(?)するのは納得がいかない。貧血かどうかを調べるために聴力検査をするようなもんじゃないか。いや、「わけがわからない」というのがこれからの一年だというのか。筋の通った夢など見たことのない身には、初夢という概念は好きになれない。
でも、本当は、そもそも1年という区切りに少しばかり納得いかない……誕生日で区切るのが合理的なんじゃないかと思ったりしている。
編み物をしながらこういう下らないことを考えたり、NHKオンデマンドでドキュメンタリーを次々と視聴しているわけだが、目数を数え間違えたり過不足が生じるのは決してそのせいではないはずだ。たぶん無我の境地で編んでも出来栄えが向上することはない。と思う。
なんだこれ。と相変わらず思う。 これがどうなるかというと、
こうだ。 寒いので下に長袖シャツを着ているが、本来はこういう着方ではないのかもしれないし、好き勝手にどうぞという感じなのかもしれない。
ならば1枚で着るのが妥当と思って試してみたら、襟元が広くあいているので無理だった。なで肩なので落ちそうだ。編み図によれば襟元に1目ゴム編みが追加されることになっているが、伸縮性のあるゴム編みでいいんだろうかと不安がわき上がる。
そもそも、このあと袖口と前後身頃にもうちょっと編み足すとはいえ、基本はこのかたち。つまり、脇の下にあたる部分がだいぶ下なので、腕を上げたらけっこうな面積の脇腹が表に出てしまう。下に何も着ないわけにはいかないだろう。
じゃあやっぱり下に何か着るしかないので、それが肩あたりですべり止めの役割を果たしてくれることを期待したい。編みにくさに辟易したが、予想以上のもさもさ感にはかなり満足だ。
ここから先はかぎ針である。やっと「細い毛糸を太い棒針で編む」という苦行が終わった。少しずつ続きを編み始めているが、棒針が重いせいで辛かったんじゃないかとちょっと思った。
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