自制のきかない性格ゆえに読書と編み物の両立が難しいのだろう。「ここまで読んだら編み物」や「あと何段編んだら読書」と決めてもまず実行できない。目標の地点に到達した途端、「あともうちょっとだけ読む」「もう何段編んでから読書」とためらいもなく目標を変更する。救いようがない。
ただ、こういった勝手な変更ができない状況があればさすがに本を閉じるし手を止める。たとえば「約束の時間に人と会う」といった場合で、こういう予定があればあっさりと中断できる。
そんな理由で今日は朝から出かけていた。で、帰宅したら再開したのは昨日の続きの読書ではなく、編み物。本の続きを読みたい気持ちはあったが、なんとなく編み物という気分がまさった。
ほどいた毛糸はまだ乾かしているため、同じくいったんほどいてやり直しているプルオーバーの続きを編んだ。
問題の模様編みは無事おわり、あとはひたすら目数の増減なしに身頃を裏メリヤス編みである。すがすがしいまでに変化がないので、タブレットで再生しているドキュメンタリー番組の内容をきちんと理解しながら編み進められる。 時間を変更できない外出のほかに中断する方法としては、風呂。浴槽に湯が溜まったらさすがにすぐ入りたい。風呂から出れば晩ごはんを作って食べて、そのあとは編み物になるか読書になるか。
目につくところに本と編みかけを並べておこう。今までは編み物の方が目につきやすい場所にあったが、書斎の床に並べておけば「つい編み物」という事態は避けられるだろう。よし、今後はこうしよう。
こんな方法をとらなきゃ駄目なのかとうっすら思うが背に腹は代えられない。読みたい本も編みたいものも長蛇の列を成しているのだ。欲望をおさえることはもう諦めるしかないのだから、いかに存分にやりたいことをやり尽くすかだ。
なお、「冷蔵庫の中味が乏しいから買い物に」とか「晩ごはんの時間だから」という理由では中断できない。「寝る時間だから」もだいぶ難しい。それもこれも、学生時代に「読書で空腹も眠気もどっかに行く」という経験を重ねてしまったので、排泄以外の本能がやや弱くなったせいだ。
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