5月の終盤に編み始めた靴下がすっかり放ったらかしになっていた。
2目ゴム編みまで終わったところで放置された原因のひとつは、前回編んだ靴下の目数を少し変更しなければならないから。 履き口やマチあたりはいいのだが、ざっくりえぐれた土踏まず部分がややゆるい。ゆるゆるではないが、ほんのわずかなゆとりがあるのだ。なので、そのあたりの目数を減らしてやりたいわけで、それを考えるのがどうにも億劫だった。
それなりに靴下を編んできたつもりでも、基本的にいろいろ理解してはいない。
いま自分がどこを編んでいるかくらいはさすがにわかるけれど、ある部分のサイズを変えるために何をどうすればいいのか、というのは目数の増減がない部分じゃなければ基本的にわからない。つまり、履き口〜すね部分か甲まわり。ただ、それにしたって、すねの目数を変えたらかかとの目数はどうするか、ということはわからない。
図に起こしてみないとわかりそうもない。が、それがまずめんどくさい。それなら最初からいつもの編み方で編めばいいのに、同じものばかりではつまらなくて何か新しいことをやってみたいという思いが強い。こういう奴どうすりゃいいんだろ、と自分自身に対してめんどくせえなと思う。
めんどくせえが、意欲自体は決して皆無ではないし、やる気が出れば過剰に集中したりする。だからそのうちやる気が出るのを待つのが今のところの最善策である。放ったらかしにしておいて、あるとき「そういえば」と再び意欲が出るのを待つわけだ。
意欲の躁鬱病みたいなものなので、無理にどうにか取り組もうとしてもだいたい徒労に終わる。で、そのあと自分の怠惰さに落ち込んだりするのは目に見えているので、無駄な努力をする必要はない。半世紀ずっとこうなんだから性根を叩き直すことなどもはやできまい。
そんな感じで編み物と半ば縁を切ったような日々を送っていて、先日やっと靴下に関心が向いた。数日前からうっすら頭に浮かんではいたが、目数を考えるのが面倒だという気持ちがまさっていたので着手はせず、何日かしてようやくやる気が出た。
意欲さえ出れば一気にここまで進む。最初からやっとけと思うのは無意味なので考えない。ゴム編みだけで中断していたのは、そのあと他のことがやりたかったからなのだからしょうがない。せめて目数の調整をせずに済むすねだけでも編んでおけとも思うのも無駄。やる気がなかったんだからしょうがない。 土踏まずのために目数を調整したのは、かかとのうしろ側(ヒールフラップ)とかかとの底(ヒールターン)とマチ(ガセット)。うしろ側の段数を減らし、底の段数と目数を減らし、マチも段数と目数を減らした。場当たり的にやったので、帳尻を合わせるために適当に2目一度をしたりいろいろ適当になった。
まあ、ぎょっとするような出来ではないので別にいいやと思う。少なくともわたしの目には、よく見てみるとなんかちょっとここが、程度である。その「ちょっとここが」も、どうせ履いているうちによくわからなくなって周囲と馴染んでしまうだろう。
と、雑な性格を全開にして(辻褄が合うよう各部の目数を考えることだけは真面目にやった)片方のマチまで編んだら、また意欲が低下してきた。ゼロではないが読みさしの本の続きを読んだりしているので、再び放置されそうだ。
新しいドイリーも編みたいので、そろそろ編み物の優先度を上げてもいいような気がするのだが、旅行や本や映画に関心を全振りしていたのでどうも調子が出ない。
コメントを投稿
別ページに移動します