しばらく前に靴下をようやく再開したものの、「またここで中断するかも」と思ったら本当にその通りになった。他の編みかけももちろん中断している。これはよろしくないな、と思うが時間が取れないのだからしょうがない。
なぜ時間が取れないのかといえば、ひとえにいろいろ不調だったから。どうにか大丈夫、でも毎日すっきりしない、いや病気になってたまるものかと目を逸らし、それでもずっと心の底が重い、などなど、逡巡の見本のような有り様。とっとと不調の源を叩っ切るべきだったな……
それが一応解決したらしたで仕事が忙しい。しかも相変わらず、非合理的な代物を合理的な状態へと軌道修正するような作業なので、ただ神経を使うだけでなく強いストレスが伴う。
あれこれ思い出すのも嫌なので、自分の至らなさに目を向けるとしよう。自分自身に腹を立てる方がずっとましだ。少なくとも自分がやったことならばどれだけ腹立たしくても、反省して行動を改めるなり、修正しようがない面とうまく折り合いをつける方策を考えるなり、何がしかの進展がある。
で、今の自分の至らなさといえば靴下。
ここまで編んでおいて未だに進んでいない。しかも片方はかかとの途中(ヒールフラップの真ん中らへん)で中断するという中途半端さ。せめて切りのいいところで中断しろよと思う。 かかとまでくれば、ここまできたら一気に仕上げてしまえ、と加速がつくのが常なのだが。やはり目数の調整を自分で考えなければならないのが面倒なのだろうか。 靴下よりは大物であるポンチョ風プルオーバーもすっかり停滞している。
裾の模様部分の糸が指定通りではなぜか足りなくて、編み直しと試行錯誤の末に乗り切ったのはいいのだが、増減なく編むところに入ってから進みが遅くなった。ただ無心で単調に編めばいいだけなのに、いや、それが故に進まないのだろうか。 編み地は軽くてふわふわで、間違いなく着心地がよさそうだ。だが自分で編まなければいつまで経っても着られない。暑いから触るのが嫌だ、というわけでもないのだから、単調な編み方に何がしかのおもしろさを見出して進めていかなければと思う。 そしてかなりの大物も残っている。
アフガン編みの巨大ブランケットというか毛布。初めてのアフガン編みだがそれなりにうまくいっている、と思う。これも単調といえば単調ではあるのだが、意外と飽きずに編んできた。 床が散らかっているのでカーテンレールにぶら下げてみたら、改めて「でかいな」と思った。そして遠目で見てみると模様がはっきりわかる。早く完成させて使いたい。だが長辺の長さは2メートル必要なので、まだまだである。先が長すぎて気が遠くなりそうだ。 が、少しずつでも編み続ければいつかは完成するのである。いつかは。
編みかけのうち、いちばん慣れた編み方(かぎ針編み)のショールが最も遅れているような気がする。
いちばん慣れていない変わり毛糸を使うので、そこがいちばんの障害となっているのだろう。慣れた編み方でありながら編みにくいのだ。「簡単なはずなのに編みにくい」という状況に脳が追いつかない。それは金票40番でドイリーを編むときも同じだと思うのだが、このショールはかぎ針の太さと糸の細さがアンバランスで、おまけにボンテンまでついているのである。
まるで「可能な限り編みにくくしてみました」なショール。なんだかんだでここまで編めたのだから、どうにかこうにかして完成させられそうな気がしなくもない。完成してもなお「どうやれば編みやすくなるのかわからない」という状態のままな気もするが。
編みかけが多いというのは、自分の場合は一種のストレスなんだなと思い始めている。中途半端な状態のものが残っているのが落ち着かないのだ。
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