編集

お道具箱

 幼稚園時代のことで思い出すことといえば、イラストがプリントされたティッシュを交換したことと、隣のクラスにいた下の名前が同じ(字は違う)子と仲良くなったのと、何かの発表会で雪の精か何かを演じたのと、避難用のすべり台(濃いめのクリーム色で、灰色の細かな粒状の何かが混じっているようだった)がたぶんコンクリート製なのに妙に滑らかだったのと、月が終わると出席ノートの左下に折り紙で作ったかわいいものが貼られるのでそれが楽しみだったのと、……なんかいろいろ覚えてるな。
 他にもいろいろあるのだが、書きたかったのはお道具箱のことである。

 幼稚園のときに使っていたお道具箱は、色や模様などいちばん目につく部分の記憶がまるでない。ただ、紙製なのに非常にがっしりしていたのと、中に入れていたのが粘土と粘土用のプラスチック製の道具(たぶん3本くらいで、1本はナイフのようなかたちだったのは確か)だったということ。
 絵本の表紙とは違った固さで、やけに印象に残っている。でも細部を思い出そうとすればするほど思い出せない。粘土板が濃い青で、中央が少したわんで盛り上がっていたのは覚えているのに。

 あの頃に使っていたようなお道具箱は今でもあるのだろうか。本当にがっしりとしていて、中にものをいっぱいに詰めて積み重ねても大丈夫そうな堅牢さだった。まあ、幼稚園児の感覚なのでいま見たら意外とヤワかもしれないが。なかなかの大きさだった記憶だけれど、実際はA5サイズ程度かもしれない。

 余談だが、子供というのは小さいだけあって、いろんなものが大きく見えてしまうようだ。幼稚園時代に住んでいた団地の風呂場がけっこう広かったと記憶していたのだが、長じてから親に尋いてみたらかなり狭かったというし。
 あと、かなり昔に従兄の子供(幼稚園に入る前くらいの年齢)がちょろちょろと葬儀場の外に出て行こうとするので追いかけたとき、子供と同じ目線にしゃがんで建物前の芝生に目をやったらびっくりするほど世界が広く感じられた。
 それを考えると、わたしのいちばん好きなベーシスト(アメリカ人)は身長が190cmくらいあったというが、来日したときのライブハウス(ロフトとシェルター)、どっちも狭苦しく感じたのかもなあ。

 話を戻して、お道具箱。
 果たしてお道具箱の記憶が残っているせいなのか不明だが、わたしは箱が好きだ。しかもお道具箱的に使える箱。あれとこれを入れるのにぴったり!な箱。要するに、箱に入るものは入れたいのである。整理整頓とかそういう観点は後付けで、「ここにこれが入るんじゃないか」と思いついたら入れたくなる。

 しかしわたしは敢えて箱を買うということは滅多になくて、基本的に何かのついでに入手した箱、つまり食器の箱とか菓子缶がお道具箱と化する。
 どうせなら気に入ったデザインの箱なり缶なりを探せばいいのに、ちょうどいい大きさの箱類が包装・梱包資材として出回っているものだから、どうしても無節操なラインナップになってしまう。菓子を食ったあとに「これちょうどいいな」となるのだから、わざわざ買いに行く余地がないのだ。

 そんななかでもジャストサイズでデザインも気に入っているのはこれ。
 どちらもほどよく小ぶりなうえに、10gのレース糸を入れても蓋が閉まる高さがある。
 編みかけのドイリーと一緒に入れておくのにうってつけだ。なんなら、片方はクロッシェレース、もう片方はタティングレースを入れておく、なんてこともできる。このふたつを並行できるかどうかは謎だが。

 なお、自分好みの箱類を探す余地が生じないと書いたが、このふたつの缶に入っていたクッキーはどちらもおいしかったので、缶を目当てにこの店のクッキーを買うという方法がある。しかもクラシックな柄の方は泉屋。ガリッと固めなクッキーが昔から好きなうえ、クリスマス時期の缶がかわいくて捨てられず、裁縫箱や飴入れとして使っている。通常仕様の缶や袋のパッケージも好きだ。
 そうだ、完成したドイリーを入れておくために、通常仕様の平たい缶を買ってくるとしよう。