ただ練習するだけで上達するものなどあるのだろうか。
何事も基本的にPDCAサイクルを回さなければならないというか、練習するだけでなく検証が必要なのだろう。「なんか変だな」程度でも立派な検証だが、違和感を意に介さずただひたすらに同じ練習を繰り返しているだけならば、それはもはや練習ではなくただの惰性だ。
と酔っ払いが書いたところでなんの説得力がないのは百も承知。
そうなんだよな、タティングレースの練習は酔っ払ってやってるんだよな……もちろん真面目にやってる。酔っ払って。
とはいえタティングレースが流行していた時代のお貴族様が背筋を伸ばして一心不乱にタティングレースを楽しんでいたかどうかは怪しいもんだ、とつい無駄なことを考えてしまう。マカロンでも食いながらやっていたかもしれないし、他人の噂話だの陰口だのなんだので盛り上がっていたかもしれないし、優雅に見える様を周囲に見せつけながら虚栄心を満たしていたかもしれない。ならば現代の庶民が酩酊状態でやってたって大差ないだろう。
などと下らないことを考えてしまう癖、どうにかなんねえかな。
それはそれとして、酔っ払いの練習の成果は今のところこうだ。
まったく同じもんこんなに編んで楽しいの?と思わないでもない(途中から少しデザインを変えたけれど、単に目の並びが違うだけ)。いやほんとお前コレ楽しいの?と自分でも思う。写真を撮るために並べながら軽く衝撃を受けた。努力の才能がないのになんでこんなに地道に編み続けていたんだろう。って、酔っ払ってたからか。
そう考えると(考えるな)酔っ払って音楽で景気つけて編んでいれば、いろいろ無駄なことを考えずにやれるのかもしれない。だってこんな単調なものを繰り返し繰り返し、これだけの数を編めているのだから、「地道な努力を要するもの」は酒と音楽をお供にやれば苦労なくやってのけられるんじゃないか?
戯れ言はともかく、ひとつ編むたびに出来を眺めて、ちょっとずつ修正してきたつもりだ。
いちばんはピコの大きさ。どういうわけか「ピコは大きい方がよさそうだ」とタティングレースを始めたばかりの時点で思ったので、それなりに大きく作っているつもり。
だが、何事も用途に応じて変えていく必要があると理解した。それはリング同士をつなぐピコの大きさで、こいつが大きいとリングとリングの間にわたる糸も長くなり、全体のシルエットが五角形に近くなる。
練習用に適当に考えたデザインなので、自分が編んでいるこれがなんのかたちなのかなんて知らない。そんなことはどうでもよかったから。ただ、編んでいるうちになんとなく星のようなかたちだと思えてきたので、おのずと頂点同士の間にはっきりとくぼみをつけたくなってきた。
いい感じにくぼんでいる部分はピコが小さくなっているとわかったので、リングをつなぐピコは小さめにして、それによって星らしいかたちに近づけようと試行錯誤。他方、頂点のピコは派手さ(?)を増すためにより大きく。
ただ、あまりに小さすぎると糸を引き出せないし、そもそもどのくらいが適度な大きさなのかがわからない。たぶんここは自分の感覚を頼りにやって決めるしかないのだろう。極端に小さくするとリング同士のバランスが崩れてしまいそうだし、バランスが崩れたらピコの大きさ以外でどうにかできるものなのかわからないし、せっかく評判のいい基礎本を持っているのに意味がない。自分のやっている「基礎」がなんか違う気がする。
酔っ払っているし、基礎本とは違う次元のことをやっているし、なんの練習だこれは。
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