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あと少し(で泥沼へ)

 笠石あきさんの "100 pieces of crochet" というシリーズでレー編みに慣れよう、と考えて挑戦を始めたのは今年の3月。いつまでにという目標はなかったけれど、気がつけば12デザインのうち残り3デザインのところまできた。

 1デザインにつき、まずダルマの20番レース糸とエミーグランデで編み、それから金票40番で編む、という謎のルールがいつの間にか決まっていて、時に苦しめられながらも(金票40番で編むにはきついときが幾度かあって)気がつけばあとちょっと。

 残り3デザイン(つまり6枚)編めば、いよいよ大きなデザインに挑戦である。といっても本に掲載されているものや有償パターンは小さいものもあるので、やはり小さい順にか?と少し思ったけれど、どういう順番で編むのかはそのうち考えよう。
 大きいドイリーは糸が40gとか直径が30cmとか、どうしたものかと今から思う。40gといえばエミーグランデの大玉は50gなのですぐになくなってしまうし、直径30cmもあったらたとえ皿の間に敷こうにもそもそもそんな大きな皿は1枚しかない、
 ならば一定以上のサイズのものは金票40番で編むか?とも思うが、それはさすがに無謀な気がしてしょうがない。そこまで根気を保てるか……いやそれより未だ10g玉だけしか増えないで済んでいる金票40番の50g玉を増やす羽目になったらどんな世界が待っているのか。とりあえず泥沼であることには相違あるまい。しかも底なし。

 もともとは笠石さんの「もりもりの立体感にあふれたドイリー」という、これまで見聞きしたことのない代物にびっくりして関心がわき、ずぶずぶと深みにはまった。使い道がないことなど完全にどうでもよくなった。
 わたしはレース編みをゲームにたとえるのが常だが、「実家にあるファミコンをテレビにつなごうかな」とこの年齢になっても考えてしまう自分らしいと云わざるを得ない。未だに「そんなことやってどうすんの」という遊びにはまっているのだ。エレベーターアクションやナッツ&ミルクを3DSのバーチャルコンソールでたまに遊んだりしているのだ。もちろんスーパーマリオも。

 しかも最近は他のデザイナーさんのドイリーや、古いレース編みの本にも興味がわいてきている。大部分は見て楽しむだけで終わるだろうなと安心しているが、わけのわからなさがおもしろくて編みたいものもそれなりにある。
 中にはかなり大きくなるものもあって、さすがにそれは始末に困るから諦めればいいものを、タティングレースに関心を持ってしまったがゆえに世の中には金票40番よりもずっと細い糸があることを知り、それで編めばそんなに大きくならないんじゃね?とろくでもない突破口を見つけてしまったり。金票40番で直径70cmになるものをほどほどのサイズにするために極細糸で編むなんて、いったいなんの修業だ?

 そんなことより中細毛糸でポロシャツ風プルオーバーを編むとか、実用的なことをしたいのだが……下手にかぎ針編みに難しさを感じないため、手があくと気軽にドイリーに挑戦してしまう。まあ実際、小さいドイリーは長くても数時間で編めるわけだが。でもそれが故にドイリーはどんどん増えるし、1枚おわればまた次を、と終わりがない。

 それでもいつかは編みたいものがなくなり、実用性のあるものに目が向くと思いたい。さすがに大きなものは20番と40番とで二度編むなんてことはしないぞ。
 いや、でも、編みたいものがなくなったら金票40番で編んでみようとか思うのかな……

 まあ、ドイリーのような具合でセーターを編むよりかはましだと思う。大きさも厚みもあるものがどんどん増えることを想像するとさすがに寒気がする。そんなにたくさんあってどこにしまうのか。
 いやそれよりまず、全部を均等に着回すことなどできるのか。20組近い手編み靴下は順繰りに履いているが、おかげで市販の靴下をすっかり履かなくなった。唯一、葬式や法事のときは市販の黒い靴下を履くが、黒いソックヤーンを手に入れてしまったので今後はそれも危うい。

 それを思えば、ドイリーは使い道がないからどれだけ編んでもこういう心配をせずに済む。

 ……いや、お願いだからどうにか心配して編む手を休めてくれ。と自分に対して思う。
 でもこうなったらもういつか飽きるのを待つしかないか、と諦めつつあるのだが。

 どうしようもないか……