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編んだ方が早いかもしれない

 10年以上前につくった鍋つかみがだいぶ薄汚れてしまったので、またつくることにした。

 まずは布を切る。
 型紙はなく、長方形に線を引いて切るだけだ。だけなのに、1時間くらい経過しているのはうちの時計が壊れているのだろうか。そう疑いたくなるが、事実だ。

 線を引くより先にまず「布のどの位置で切るか」で悩んだ。変なところで裁断して余り布が半端な大きさになっても問題はないのだけれど、無駄を出すのがいやなのでけっこう考え込んでしまった。
 ようやく位置を決めても、今度は紙に線を引くような具合にいかないので定規を置くところから神経を使った。曲がらないように線が引ける位置に置くだけでまた時間がかかってしまう。
 チャコで引いた線は消しゴムで消せるわけでもないし、チャコペンのおしりに付いているブラシでもうまく消えないし、別の色で線を引き直しても絶対に切るときに混乱する。だから下手な線は引けないのだ。

 やっと線を引いてはさみを持っても、この時点でいいかげん疲れている。そこに追い討ちをかけるように、曲がるとわかっていながら布を切らなければならないのである。もうこの精神的な負担といったら。
 はさみを大きく開いてみようと、先でちびちび切ろうと、どうしたって曲がるのだ。そう思うと逆にどうでもよくなって、それがよかったのか自分の基準ではそれなりにうまく切れた。充分な縫い代が残っているのでこれでいいや。

 そんなこんなで1時間。まあ、うんざりである。

 で、次は縫い代を折ってアイロンをかけるのだがこれは難しくなかった。もちろん紙のようにきれいに曲がらず折り目をつけるようにはいかないが(裁断線が曲がっているから)、だいたいまっすぐなら気にしないことにしたのだ。
 重ねた布を待ち針で留めるのも、だいたい合ってりゃ別にいいやで済ませてしまった。もう既に疲れ切っているのでいろんなことが雑になる。
 そうか、こんなだから縫い目がひどくなるんだな。いま気がついた。

 雑で適当な縫い物はまだ続く。ちびちびと縫っている途中で中綿がないことに気がつき、どうしたものかと少し考えて、古い鍋つかみの端を切り落として中綿代わりにすることにした(今回つくっているのはまったく同じものである)。中綿はすっかり薄くなっているかもしれないが、外側の布もまとめて中に突っ込むので厚みは増す。ほとんどごみも出ないし一石二鳥である。

 午前中から始めたのに、終わった頃にはだいぶ暗くなっていた。鍋つかみを縫うだけで一日仕事かよ。
 鍋つかみを新しい布でくるんだようなものなので厚手な仕上がりになり、かたちもさほど歪んでいないので上出来である。自分にしては。

 それにしても、ものすごく疲れた。小さいのにえらく時間がかかり、このくらいの大きさなら編んだ方が早いんじゃないかとすら思った。中表に縫ったものを裏返す手間もないし、途中で大きさを変えたくなったら編み足すなりほどくなりすれば済むし。
 編み物は時間がかかるものだが、ものによっては、そして自分の裁縫の技量ならば、編んだ方が早い気がしてきた。

 まさかなあ。とさすがに思うけれど、布を切るまでに時間がかかるしちんたら縫うし、あながち戯れ言とも思えない。
 この鍋つかみが古びたら、編みくるむか。