従妹に送った靴下、そろそろ届く頃かなあ。
本当ならば洒落た模様編みの靴下でも送りたかったが、そんな技術は持っていないのでまたもや「明確なサイズがわからなければこれ」と勝手に定義づけた編み方(下記リンク先)で編んでしまった。

履き口から編むくつ下の編み方覚書
ここのところ52 Weeks of Socksプロジェクトをやっているため、くつ下をたくさん編んでいますが、自分で考えた超シンプルなくつ下はたまーにしか編みません。つま先から編むくつ下は自分のパター
もっといろんな編み方をやってみるつもりでいたけれど、まあ、「慣れた編み方」で編んだものに不満がなければそれでいいのかなとも思う。「もっといいもの」が存在するのかもしれないが、別に今ので充分だし。
向上心がないと云われれば確かにそうだ。が、自分の向上心は編み物以外のものに向けられているので、編み物は別にそんなにうまくなるとか知識が増えるとかしなくてもいいやと思う。編み物でいちばん頑張るのは「どうやってもできない・どう考えてもわからないときにいかにうまくごまかすか」である。
だがそんな自分が許容できないのが、本の内容をあらすじや解説だけ読んで知識を得ようとすることである。伝聞かつ断片的なことのみで知った気になっている奴は軽蔑するし、「1日でわかる○○」とかもう虫唾がはし……いやその話はいいや。
それで、靴下の話。
手編みの靴下は履き口がゆるい、というか締めつけない。
昨年進呈した靴下を父が履いてくれているのは、この点を気に入っているからなのだと母から聞いた。確かに市販のものとくらべると締めつけはあまりないし、それでいてずり落ちないので不思議に思っていた。皮膚の表面に毛糸がうまくひっかかってくれているということなのだろうか。
それにしても、なんで感想を作り手であるわたしに云わずに母に云うのか……もっとあれこれ云ってくれた方が次に活かせるのだが。
いや、まあ、「せっかく作ってくれたから」という気持ちもよくわかるけれど。要するに、わたしが自分から父にきちんと感想を聞いてうまく改良ポイントを聞き出せってことだ。そういう努力もせずに「なんにも云ってくれない」などと不満を抱くのはお門違いもいいところ。人間は言葉を用いて意志疎通のできる生き物なのだから、きちんと言葉を使えと改めて自分をきつく戒めたい。
ともかく、気に入ってくれたならばもう一組くらい編むか、と思った。
もう一組くらい靴下を。
……いやいやいや、寝言ほざくなこのボケが。
やっと再開したブランケットを日々淡々と進めろ。寄り道すんな。
なんでこう靴下に手をつけがちなのか。って、ソックヤーンの在庫がやばかったせいか。
思った以上にソックヤーンの消費が進んでいることがわかって以来、恐ろしいことに以前よりもソックヤーンに目を引かれることが増えてきた。きちんと追加購入を自重できていたといのにいざ在庫が減ったらこれだよまったく。
そんできっかけさえあればすぐ靴下を編みたがる。なんかの病気か。診療科どこだよこういうのは。
と、ひととおり自分を非難してみたが、なんかの病気みたいなのであまり効果はない。糸だけでも決めておくかな、などと思考が先へはしっていく。自分がふたりいたらもう片方を躊躇なくぼこぼこにしたい。こいつ殴ってわからせないとだめだ。
もちろんそんなことはできない相談だ。
なのでもう諦めよう。「編みたいんだからしょうがないじゃん編んじゃおうぜ靴下」とふざけたことをほざかなかっただけマシである。どこか許容範囲内の着地点を見つけるしかない。
となると、糸だけ決めるか……しかし残り少なくなった(自分比)ソックヤーンの在庫写真を眺めてみても、どうもこれといったものがない。自分用なら派手でもなんでもいいのだが。どうしたもんか。探しに行くか。どうしよう。
さすがにここは自分の理性が残っているようで、「新しいの買おうぜ!」とはならない。本は読みさしがあっても無関係に増えていくけれど、毛糸はそこまで制御不能な存在ではないのだ。それについ先日、また海外からレコードが届いたので懐具合は決してよろしくない。なんで英語わかんないのにこういうときだけよくわかるのだろう。
なので父用の糸はもうちょっと手持ちで検討するとして、それでやはり新たに糸を買うという結論に達したら、買ったらすぐ編むのだと自分にきつく言い聞かせなければ。
どうせならソックヤーンと魚は同等に扱うことにして、買ったらその日のうちか翌日、翌々日くらいまでには消費することにしてしまいたい。が、ネットで買うときはまとめて購入するのが通例になっているので(小分けで発送してもらうことは避けたい)、魚レベルは無理だ。近所の手芸店にソックヤーンがほとんどないのが辛い。
どうやれば、まとめて買ったソックヤーンを死蔵せずに速やかに消費できるか?
いや、それよりもう靴下なんか(自分用は)山ほどあるんだからしばらく編むなよってことだよな……人様に進呈することもそう滅多にないし……
ここから編み物まったく無関係の余談。
文中で触れたレコードとはこれである。
いやもう久し振りに開いたFacebookでシェアされた情報を読んで(なんで英語わかんないのにこういうときだけわかるのか)Bandcampで購入手続きをするまで光の速さかよという迅速さで。既に室内のレコード棚はいっぱいだという事実などお構いなし。まあ、レコードが多いわけではなくて棚が小さすぎるだけだ。
それにしてもまさかの Young Charlatans のレコードを手にする日がくるとは。YouTubeでデモなどは聴いていたので、何かしらの音源はあるのだろうなとは思っていたけれど、こうやってかたちになるとは思いもしなかった。
でも今まで数十年いろんな音楽を聴いて、新しい録音技術とか機材とかで「いい音質」とかいうやつに耳が慣れているはずなのに、なぜこの50年ちかく前のサウンドが快適なのか……しかも曲も若造が勢いだけで作っただけというものでもなく(それならそれで悪くはなかったりするけれど)、感性が現代に合っていないのだろうか。
そういやいつも使う筆記具、鉛筆だ……
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