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いつまでも結論が出ないもの

 中学生くらいだったか、国語の教科書に載っていた文章に写真入りで「獅子狩文錦」というものが出てきた。どういう内容の文章だったかまったく記憶にないのだが、なんだか不思議な響きの名前と、やけに色褪せた布の写真はぼんやりと記憶に残り続けていた。
 昨年ふとそれを思い出して検索してみた。すると、なんというか、わたしは「だいぶあとになって強い興味を持ったものは、実はまったく関心がなかった時期に既に触れていた(無関心だったからろくに記憶に残っていない)」ということがよくあるのだが、まさにそのパターンだった。

 獅子狩文錦(四騎獅子狩文錦)というのは法隆寺が所蔵する国宝だ。唐で製作されたと思われる綾錦で、文様にはササン朝ペルシャの影響がみられるという。
(出典:WANDER国宝

 そんな説明を読んで、そうだ、獅子狩文錦についての文章でササン朝ペルシャという国を知ったのだ、と思い出した。
 以前も書いたが、わたしはアジア・中東・北アフリカなどいわゆる「現代の先進国」ではない国の模様にやたらと惹かれてしまう。どうやら大昔の先進国の文化が肌に合うらしいのだが、なぜよく知らない国(文化への関心をきっかけにその国について調べるようになったりもした)のそういうものを好むようになったのか自分でもわからないでいる。
 その端緒はまさかこの四騎獅子狩文錦なのか……

 ともあれ、それがゆえにこういうものを見つけてしまったら、嫌でも興味がわく。
ペルシア風ラグブランケット 編み物キット

ペルシア風ラグブランケット 編み物キット

ペルシアのラグや絨毯からインスピレーションを受けてデザインした大判のブランケットが編めるキットです。様々な技法が多く使われ、大きさもある作品なので編みごたえがあります。

 最初に見たのは一昨年くらいだったろうか。それからだいぶ経つのに未だに買えないでいる。
 長いこと買うのをためらっているのはひとえに「ペルシャ『風』」だということだ。もしこれがたとえば「縄文土器に施された模様を忠実に再現したブランケット」で、かつ、なかなかの再現度であればまず迷うことはない(いや実際はそんなの編み物では不可能だろうが、あったらほんとに欲しい)。

 決して「ペルシャ『風』」を否定しているわけではない。わたしは専門家ではないので、正直なところ「それっぽいもの」で充分満足できてしまったりする。でもだからこそ、一目惚れできるデザインでなければ決断が難しい。
 自分が抱いている「なんとなくこんな感じ・こういうイメージ」が見事に表現されていれば惚れ込んですぐさま買うか、今すぐ買いたいが懐事情が厳しいのでどうしたものか、と迷うかのどちらかだ。
 でもこのブランケットはそこまで惹かれるわけではなく、しかしかなり好ましいデザインだとは思っていて、そういう微妙なところにあってしかも大物だから未だに決心がつかないという……もしこれが小物だったらここまで迷わないかもしれない。

 先に挙げたリンク先(内藤商事のオンラインショップ)では、この投稿を書いている時点ではどちらの色も品切れになっている。他のネットショップでも、しばらく前から片方だけしか残っていない場合が目につくようになっていて、そろそろ買っておかないと完全になくなってしまうかも、と思う。

 いつもなら品切れが目につくようになったあたりで腹を決めて購入に踏み切るはずなのだが、未だにそうならないということは迷い続けているということだ。
 この期に及んでそうならばもう諦めた方がいい。でもたまに検索してデザインを眺めてしまう。……これって対象が人間だったらストーカーってことになるんじゃないのか。





 以下、編み物にはまったく無関係の補足と、太宰治をこよなく愛する人は複雑な感想を抱くかもしれない余談。

 最初の方に書いた獅子狩文錦について補足すると、教科書で読んだのはたぶんこの記事で取り上げられているものだと思う。

<ちょっと一息> 「幻の錦」法隆寺の獅子狩文錦とトルファンの花樹対鹿錦

 教科書の表紙は自分が使っていたものと違うが、本文や写真のレイアウトはなんとなく記憶にある。特に右側のページの夢殿の写真と配置に見覚えがあるので、わたしが読んだのはおそらくこれと同じ内容だろう。

 夢殿といえば、このときは聖徳太子にも飛鳥文化にも関心がなかったのに、それなりの年数をおいたある時点から現在に至るまで、どちらも非常な関心の対象となっている。
 しかもそこからどんどん興味の対象が広がり大変なことになってしまった。近年、社会人の学び直しとやらをよく耳にするけれど、喜んで大学に入り直して大学院にも進んで15年くらい国や地域を限定せずに歴史や考古学などの学び直しをしたいところだ(世間のいう「学び直し」はそういうことじゃない)。

 「幻の錦」を読んだことなど忘れていたのに、気がついたらこの有り様。どうせなら授業でこの作品が取り上げられたときに即座に古代史おたくになっていれば進路も大きく変わり、自分の仕事に社会的意義をまったく見出せないという悲惨な事態(つまり現在)も避けられたかもしれない。まあ、そんなことを考えても意味などないが。

 話を戻して、驚いたことに「幻の錦」全文のPDFファイルへのリンクがこちらのページ末尾に載っていた。
幻の錦 その3 | kzm's 雑記帖

幻の錦 その3 | kzm's 雑記帖

さて、教科書のお話です。長々と続いているので飽きた方は読み飛ばしてくださいませ。法隆寺の夢殿から発見された錦の文様はヘレニズム文化の影響を受けたササン朝様...

 が、URLをみるとPDFファイルは別のところにあるようなので、正確な出典も載せておく。
ほのぼの研究室 - Excel VBA ユーザー定義関数 & 総合の学習 & 国語における課題解決学習〔おくのほそ道冒頭、定家のすごさ、少年の日の思い出主題〕

ほのぼの研究室 - Excel VBA ユーザー定義関数 & 総合の学習 & 国語における課題解決学習〔おくのほそ道冒頭、定家のすごさ、少年の日の思い出主題〕

Excel VBA ユーザー定義関数 & 総合の学習 & 国語における課題解決学習〔おくのほそ道冒頭、定家のすごさ、少年の日の思い出主題〕

 タイトル画像の下のメニューの「国語教材プリント」の8番目に当該PDFファイルへのリンクページがある。書き手は国語の先生らしく、本文のあとには学習用プリントも掲載されていた。
 わたしは昨今の学校教育がどういうものなのか知らないのだが、プリントを見ていて「そうそう、国語って文章載ってるから勉強しなくてもだいたいわかるんだよな」と思ったので、少なくとも国語に関しては昔とあんまり変わらないのかもしれない。

 それで思い出したが、高校時代に実力テストで問題に取り上げられていた文章(随筆)を読んでいたら妙に気持ち悪くて、「なんか太宰治みたいだな」と思ったことがある。わたしは試験だろうとなんだろうと最初に文章をぜんぶじっくり読むタイプで、きもいぞと思いながらも読み進めていき、文章の末尾の出典にたどりついたらそこにあった作者名は太宰治だった。
 太宰みたいできもいと思ったらほんとに太宰治で、きもいけど太宰すげえなと思った。

 当時は確か『人間失格』を読んで下らねえなと思い、『斜陽』を読んで数ページで飽き、最後まで読んだがやっぱり退屈で、それ以外に太宰の文章など微塵も読んだことがないわたしが初見の随筆で太宰だとわかったということは、太宰が文章にしっかりとした個性を備えていることの証明ではないだろうか。
 たとえば芥川のように文章に妙な匂いが染みついているわけではないと思うのだが、それでいて短い小説ふたつで高校生に「太宰らしさ」が伝わる文章が書けるってすごいことだ。

 なお、件の随筆でとりわけ気持ち悪いと思ったのは「机に小刀で唇のかたちを彫り、そこに自分の唇を重ねてキスの真似事をした」という主旨の文章である。きもい。でも『人間失格』にも『斜陽』にもそんなこと書いてなかったのに太宰みたいだと思ったって、どういうことなんだろう。きもいけどすごい。これだけでもう芥川賞くらいやったってよかったんじゃないか。試験直後に教室のあちこちで女子が「さっきの問題、超気持ち悪いよねー」と話していたが。



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