編集

懲りずに基礎を

 フェリシモの「はじめてさんのきほんのき」シリーズはよくできている、と思う。だがわたしはこのシリーズで失敗する確率が非常に高い。
 その理由は「独学でそれなりにできるけれど基礎をきちんと学びたい」という状態でこのシリーズのキットを始めてしまうから。もう独学でやれている時点で一から基礎をやるのが自分には向いていないのだ、と何度か失敗してからわかった。

 独学で始めた場合でも、それほど時間が経っていなければいいのかもしれない。だが好き嫌いが生じてしまうともう駄目だ。基礎から学ぶキットなのに「このデザインは好きじゃない」とか「こんなの編みたくない」と思ったら意欲が失せてしまう。
 大して編めない段階でもう好き嫌いが出てしまうわけで、もうちょっと耐え忍べよと思う。

 ただ、自分がやったことのない技法や苦手な技法を学べるものであれば、気に入らなくても編むだけの真面目さはある。そのへんは無駄にチャレンジ精神が発動して二度とやらないようなことでも挑戦する。が、デザインなどに興味が持てないものはことごとく「できるけれどもういっぺん基本的なところからやらなければ」という内容ではないどころか、問題なくできる技法だったりする。

 要するに、必要なのは基礎のやり直しではなくて、独学でやってきてまだわからない事柄なのだ。そしてそういうものは、必要になったら調べれば事足りる。

 なのにまた懲りずにレース編みの基礎のキットを注文してしまった。
お花でレッスン ごほうびはドイリー♪ 「はじめてさんのきほんのき」レース編み教室の会|Couturier[クチュリエ]|フェリシモ【公式通販】

お花でレッスン ごほうびはドイリー♪ 「はじめてさんのきほんのき」レース編み教室の会|Couturier[クチュリエ]|フェリシモ【公式通販】

【はじめてさん】お花のレース編みレッスン|その他編み物の通販ならCouturier[クチュリエ]|フェリシモ【公式通販】

 内容を見てみても、正直そう難しくないよな……と思った。加えて「非常に魅力的」とか「ちょっと難しそうだからやってみたい」というデザインでもない。

 それでもなお手を出したのは、このさき自発的に挑戦する可能性の低い方眼編みやモチーフつなぎの回があったからだ。
 編む可能性が低いといえばふち編みもそうだが、本に載っているデザインでおもしろそうなものはそれなりにあるので、円形に編むのに飽きればやってみる可能性はある。だが方眼編みはこれまで一度も編みたいと思えたことがないし、モチーフは単体で編むのは楽しいがつなぎたいとまでは思わない。
 ならばキットなど買わずに本に載っているものを練習のために編めばいいのだが、そういう意欲がぜんぜんない。基礎本に載っているものを最初から順に編んでいく方法もあるが、やはり意欲がない。なのでキットというかたちで自分に練習を強いてみる、というわけだ。

 興味もないし練習する意欲もないなら別に練習などしなくていいのでは?と思わないでもない。
 しかしここが自分の欲張りなところで、もし編んでみたら楽しいかもしれない、と思うのだ。ぜんぜん興味がないくせに、レース編みというジャンルの一部だからもしかして、とかすかな期待を拭い切れない(こういう欲深さで本やレコードが増えるのだ。しかも芋づる式に欲の対象は拡大していく)。でも自発的にやってみる意欲はない。意欲が出ないならやっぱりやんなくてもいいんじゃん?と思いつつ、でも切り捨てられず……

 この諦めの悪さは、塾や習い事とまったく無縁の子供時代を送ったせいもあるのではないか、と思う。
 体系的に何かを教わる機会は学校にしかなくて、あとは自分で好きなようにやってきた。加えて自分は長子なので兄や姉から何かを教わるということもなく、何かをやりたければ自分で模索しながらやっていくのが当たり前。そしてそういう方法が自分には合っていたようだ。

 ただ、それでもどうにもならないことはある。
 たとえばギターはいつまでも初歩的なところしかわからなかった。大抵のことは自力でどうにかできたけれど、「きちんと教わらないと駄目だ」と最初に思ったのがギターだった。

 編み物などの手芸に関しても似たようなことを感じているのだろう。それなりのことができても、根本的に何か誤っているのではないか?という不安があるのだ。
 それは「基礎本を読んでも意味がわからないことが多い」という事実も関係しているかもしれない。この図の次にいきなりなんでこの図なの? みんなこの説明で理解できるの? ということが多すぎる。が、図の説明が理解できないのに編める。なんでそうなる。もしかしてどっか間違えているんじゃないか? と不安になる。

 だから何度も、基礎から体系的に学べる機会を求めてしまうのだろう。
 さて今回はどうなるか。






 ここから編み物と関係のない余談。いかに「習い事」が自分にとって難しいか、という話。


 ギターを教わらなければと思った30歳のとき、ヤマハのギター教室に通い始めた。マンツーマンのレッスンが週に1回という正真正銘の習い事である。人生初の習い事ということで浮かれていたような記憶がある。
 が、担当講師はわたしが教わりたいフィンガーピッキングを「あんまり得意じゃない」と……まあそれでも腐ってもギター講師というか、ろくにわかっていない自分にとっては充分である。

 しかし「習い方」がわからなかった。レッスンはこちらが弾きたい曲の楽譜を持っていって教わる形式だったのだが、家で練習して、レッスンで難しいところやできないところの弾き方を教わって、また家で練習して、……の繰り返し。講師が練習曲を提示することもあったが、基本的に曲を選んで持っていくのは自分である。
 そして当時の自分が選んだのは、押尾コータローの「レギュラーチューニングで特殊奏法がない曲」である。

●Wind Song


●Dear...



 ……初心者がこれで練習していいのか?と今は思う。
 当時はフィンガーピッキングに関しては素人だったんだから、まずは指を自由に動かすための基礎練習に向いた曲とかあるんじゃないだろうか。
 まあ、弾きたい曲で練習するのがいちばん、ということなのかもしれないが、それじゃ自分が習い事という形式をとらずに好きなようにやっていたのとなんら変わりはないわけで。

 とりあえず最初に挙げた曲は人前で弾けるくらいにはなったが、この曲が弾けるようになったことで他の曲を弾くときに活かせたことは何かと考えると、わからない。何年かレッスンに通い、真面目に練習していたけれど、上達した気がしない。

 習うってどうやればいいんだか、さっぱりわからん……ギターは向いていないのかもしれないが、習うことはもっと向いていない気がする。独学でやるとそれなりの成果が出るのに、なぜ習うと出ないのだ。



新しい投稿はありません 前の投稿