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目コピに挑戦・改

 かぎ針編みの基礎本、というものがうちには一冊ある。だいぶ昔に買ったやつ。
 しかし自分の知りたいことに限って載っていないので、とっとと処分するつもりだった。こんな内容なら昭和56年の雑誌の付録小冊子だけあれば充分だ。

 なのに未だに手元に置いている理由は、これだ。
 本の終わりの方にモチーフ編みとレース編みについて載っているのだが、その片隅に妙に惹かれるモチーフの写真が載っていた。レース編みに毛の先ほどの関心すらなかったときに惹かれたのだから、もともとこういうレース編み的なものにのめり込む素質はあったのかもしれない。

 で、このモチーフの編み方が載っているから本を捨てられない、というわけではない。このモチーフの編み方なんてどこにも載っていないのだ。

 ……このくらい載せてくれたっていいんじゃないかと思う。この写真が載っているページには見開きで11個ものモチーフの編み図が載っているのだが、なぜこの写真の編み図は載せなかったのか。他の編み図は11個も載せているのに。
 それがわかった時点で「いつかこの編み方を解読しよう」と考えるしかなかった。写真の画質は荒いし小さいしカラーではないし、果たして自分にそんなことができるのかという疑問はあったが。

 それから2年くらい経った今、少しくらいなんとかなりそうな気がしてきた。同じモチーフ4枚がつながっている、と判断できるようになっただけでも進歩だ。

 モチーフの中心の目数は、まあこの写真ではとてもじゃないが数えられない。なので中心の円の周囲に4本の長編みのようなものがまとまった部分が上下左右にあるので、中心の円の外周は最低16目と仮定。
 4本まとまった部分同士の間は……1目あいているようには見えない。ならば円は最終的に16目になる、と仮定して進めるか。

 編み始めはどうか。まず中心を8目でスタートしてそれから16目に増やしているのか、いきなり16目で始まっているのか。中心が盛り上がっているように見えるので、こま編み8目でスタートしているような気がする。でも、こま編みの上に長編みを続けるにしては円の直径が小さいような気もする。
 ドイリーやモチーフをそれなりに編んだのに区別がつかないのか?と思わないでもない。だがわたしは編み目の区別をつける能力が著しく劣るので、編んで確かめるしかない。わの作り目で長編み16目なんてすぐである。

 そのあとは長編みを4目編むごとにくさり編み、だろう。写真では4本の長編みの間に隙間があいているが……長編みの間にくさり1目が入るのだろうか。引っ張った結果こうなったようにも思えるが判断が難しい。写真をじっくり眺めてみても、間にくさり1目がありそうな場所もあれば、なさそうな場所もある。
 でも長編みの頭が続いていたらそんなに隙間はできないよな。よし、長編み4目の間にくさり1目を入れてみよう。

 長編み4目のあとのくさり編みは、長さが長編みと同程度に見えるので6目だろうか。次の段で束に拾うことにより90°に曲がると思われるが、拾う部分を考慮して1目増やした方がいいのかどうか。
 というか、これは束に拾っているのか、くさり1目に編み入れているのかどちらだろう? もし次の段でくさり1目に編み入れるなら7目必要だろうし、束に拾うなら6目か7目か。わからんな。くさり6目という数字もちょっと奇妙に思える。どうかなあ。
 まあ、簡単にいくはずもないのでしばらく頭をぐるぐる回して考えよう。



 ここから余談。数日前の投稿について。

 数日前、似たような題名で書いた投稿があった。Facebookで目にしたモチーフを目コピしてみるという内容で、いっぺん考えて、投稿を書いたあとは改良しながら次の段階に進もうとしていた。
 しかしどうもFacebookで目にした画像がAIによるものらしいという疑念がわき、調べてみると色違いで編み目がそっくりなものも出てきたり、それがAIによるものだというコメントを見かけたり、いろいろ疑わしくなった。更にInstagramで、かたちはほぼ同じで細部が少し違うものまで見つかった。
 一緒に写っていたかぎ針の刻印の文字が奇妙であることには気づいていたのだが、拡大してもよくわからないので単に不鮮明なだけだと思った。が、AIが生成したものだと考えれば得心がいく。

 果たして本当にAIが生成したものなのかはわからない。少なくとも、目数を調整すれば似たようなものは編めそうな気がする。が、わたしはごく限られた分野(遺跡から出土した膨大な量の破片の断面を照合するとか)においてしかAIの利用価値を認めていないので、疑わしい代物には関わりたくない。
 お粗末な頭をフル回転させて頑張ったんだからこのまま目指すかたちを追究すればいいじゃないか、とは思わない。そのくらいAIに関するものが嫌でしょうがない。90年代に「馬鹿がコンピュータを使わないように試験でも設けた方がいい」と云っていたレイモンド・ワッツは先見の明があった、としみじみ思う(それで自分が試験に受からなくて使えなくなったとしても、いろいろ自力で頑張ればいいだけの話だ)。

 AIに対する否定的見解は延々と書けるので省略するとして、ともかく放棄。以前の投稿も削除。

 それにしても自分に腹が立つ。常々、ちょっとした違和感(今回は画像のかぎ針の刻印)を無視するな!と自分を戒めているというのに……こういう迂闊さがとんでもないことに繋がるのだ。それがわかっているのに気を抜いた。自分に腹が立ってしょうがない。



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