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肚を据える

2024/03/29
 最近は靴下を中心に世界が回っているが、編みかけのことを忘れているわけではない。やりたくないから後回しにしているわけでもない。単に靴下が手軽だから、ついそちらを編んでしまうだけである。
 手軽と云うわりに、かかとの部分は未だにノートを読み返さないと編めないけれど。

 手軽ではないセーターの今。
 増減もないシンプルなメリヤス編み部分なのに後回しになるわけは、重いのだ。
 小物しか編んだことのない身にとって、たったこれだけでも充分に重い。ましてやノルウェー式の裏編みというのは、棒針の動きがけっこう大きい。
 短い棒針であれば問題はないが、それなりの幅があるセーターでは編み地の重さがもろにくる。これはセーターを編んで初めて気がついた。

 けれども挫折するわけにはいかない。気がついたらもうじき3月なのである。最近は秋だけでなく春も短いので、いいかげん完成させなければ次の冬まで待たなければならない。
 というか毛糸ほんとに間に合うかなこれで? 季節が変われば100均は毛糸をごっそり入れ替えてしまうので、もういっぺん計算し直さなければ。

 計算といえば、これもある。
 ……前身頃も割り出しの手前でやめて、袖を先に編もうかなと本を見てみたら、袖にも割り出し。冷静に考えれば当然だ。
 なので、いいかげん覚悟を決めて割り出しというやつを理解しなければ。理屈を理解して、簡易編み図を見ながら詳細編み図を書いてみて、解釈が合っているかを確認しないと編み進められない。

 まるで64+128の計算結果が合っているのかを確認するために64個のマルと128個のマルを書いてひとつずつ数えるみたいな作業だが、なんか変になったから適当にごまかしてしまえということができないのだからしょうがない。
 編み物に限らず、何事においてもわたしはそうだ。理解できる・納得できるまで仕組みや理屈を執拗に調べて勉強して、ひととおりわかったところでようやく取り組んで、面倒なところがあれば適当にごまかして一気に完成させる。

 …………( ^ω^)??

 頭に浮かぶに任せて勢いで書いたら終わりがこれで、我ながらびっくりだ。
 さすがにすべてを適当にやるわけではないが、理屈がわかればごまかし方もまあわかる。そういえば靴下も、おかしくなったらちょいちょい適当にごまかしたりするよなあ。
 真面目にやろうと決めたばかりなのに結局こうなのか。いや、適当にやる前の段階では理解のための努力を惜しまないから真面目ではあるのか。

 自分の評価はともかくとして、明日からの連休は少しずつ編み進めながら割り出しの勉強である。