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考える余地のために必要なもの

2024/03/29
 靴下の進みが遅いのは棒針がいつもより5cm長いせいかな、それとも仕事のせいかもな、と思っていた。
 いや、ゴム編みの作り目をしつこく試していたせいだな。


 ここからつまらない話。

 昨日の投稿のあと、佐倉編物研究所のブログで以下の記事を読んだ。

『失敗してもいい』

『失敗してもいい』

所長の伊藤直孝です。  ◎お知らせ・記事末尾の講習案内に残席数を表示するようにしました。特に狙い目の枠をピンク色で示してありますので、ぜひご受講ください。・編…


 このなかで「テキストが不親切でわかりにくい」という声があり、でも最初からなんでも教えてしまうと自分で考えなくなるから応用も発想もできなくなりそう、という意味のことが書いてある(あくまでも個人の解釈なので細部は違う可能性あり)。
 それはすごくよくわかる。頭から思考という機能が消失して「教えてもらって当然」という前提しか持っていない人間ほどタチの悪いものはない。そういう連中がいない世界に行きたい。

 でも、「読んだだけですべてがわかるような半端なく分厚い本」は存在していてほしいと思う。それで中身がクソだったら意味がないが、すべてがきちんと書いてあるのであればどれだけ厚くても読みたい。壊滅的におかしい日本語で書いてあっても、頑張って意味をすくい上げればきちんとすべてがわかるというのであれば努力をいとわず読みたい。


 まあ、「テキストが不親切」と感じる理由はなんなのかなという点も気になるといえば気になる。
 読解力が足りないがゆえに「不親切」呼ばわりをしているのか、相当な努力をしないと理解できない日本語で書いてあるテキストなのか、あるいは情報不足なのか。

 編み物に関する本に書いてあることでわたしがイライラするのは、「これがこうだから、こうなる」という理解を助ける説明ではなく、そこに至る仮定を雑に済ませて「こうなる」レベルのことしか書いていないことだ。なんでこの次の図でいきなりこの糸がこうなってんの?とかそういうやつ。

 わたしが人生初のセーターを編むために買った本には基本的なことが何ひとつ載っていなかった。でもそれは諦めがつく。目立つところに「簡易編み図を理解できる中級者以上向け」とか書いとけよと思うが、わからないことは他の本で調べるしかないのだなと諦めることはできる。どんな分野にも中上級者向けの難しい本というのは存在するだろうから。

 腹が立つのは、その本でわからないことが容易に見つからないという状況。
 基礎を謳う本には書いていないし(基礎本にも「簡易編み図を理解できる中級者以上向け」とか書いとけと思う)、書いてあっても図解の図がどうつながっているのか説明がなくてわからないし、「いったい何をみればわかるのか」という情報すら素人には知りようがない。
 素人がまず頼りにする基礎本と呼ばれるものに載っていないならどうしろというのか。

 編み物人口なんか減って当然だろ、と素人として思う。
 せっかく興味を持ってもわからないことだらけ、調べるにもまず情報が見つからないしどこにあるのかわからない。襟ぐりや袖ぐりの脇にある斜めの線と「人」「入」みたいな記号はなんだろう、っていう疑問はどういうキーワードで検索すれば解決できるんだろう。「たまたま買った『毛糸だま』に載っていた」みたいな運を当てにしないと死ぬまでわからないんでしょうか。
 などなど。いくらでもくそみそ云えそうだ。


 テキストが不親切な仕様ならせめてその不親切さを補うものが、休日3日つぶしてようやく「たぶんこれかな」という憶測にたどり着く、なんていう努力をしなくて済むところにあってほしいと思う。
 わたしは考えることをいとわない性格で、かつ、何かを知るために大量の本や資料を読み漁ることに慣れているので今も編み物をやっているけれど、普通はこんな調べ物や試行錯誤を要するくらいならもういいや、となると思う。

 間違えるためには、間違えるための知識を要する。パソコンを使ったことのない人がエクセルの操作を間違えるためには、電源の入れ方やマウスの使い方、エクセルの起動方法や画面構成などたくさんのことを知らなければ間違えることすらできないのと同じ。
 編み物について発信する側(というのは具体的になんだろう。出版社とか協会とか?)は、どこまで受け手側の状況を把握しているのかなと思う。「これがわからない」と声をあげる人の話は聞いているかもしれないが、「やってられるか」と投げ出した人の理由などはどのくらい知っているのだろう? 人が編み物をやらない理由を深く理解しなければ需要に合った供給などできず、結果的に編み物が廃れていくと思うのだが。