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ちゃんとした基礎本

2024/04/24
 何事も自分でやらなきゃ生きていけない。誰にも何にも頼れないし、たとえ社会制度や環境が原因だとしても何もかも全面的に自分のせい。悪いのはいつも自分。
 そういう自己責任論で追い詰められてきた氷河期世代だからなのか、いろんなものに腹を立ててはこれでもかというくらいに罵倒するが恨みはしない。クソむかついたらそれだけである。「あいつのせいで自分がこんな目に」と思うことは皆無ではないが、そこに寄りかかるということはしない。全面的にあいつのせいだがそうなることを想定できなかった自分のやり方がまずかったのである。

 とくればもう予測できるだろうが、編み物においても基本はこれである。うまく編めなくてもそれは編み図のせいではなくて自分のせい。セーターを編むときに簡易編み図と基礎本を大いにこきおろしたが、こんなので編めるか!と投げ出さなかったのは世界はそういうものだと捉えているがゆえ。こんなわかりにくい代物で編めないのは自分の頭が足りないからなのだ。
 そう、客観的事実として簡易編み図と基礎本はわかりにくいのだ。単にわたしの頭が足りていないせいなのではなく、同様に初心者である人にとって簡易編み図も基礎本もわかりにくい。そこは勘違いしていただきたくない。世界は完全で自分だけがクソ、と悲惨な自己否定に陥っているわけではない。それを云うならむしろ逆で、自分のことなど肯定しまくりである。

 圧倒的に情報が足りないなかであれこれ調べて遂にセーターを編み上げたことはまあ、さすが自分、などと思ったりする。よくやれたなとも思う。
 けれども世界はこんな努力をせずともセーターを編めるように、こういった本を用意してくれていた。
 編み図解読の過程で「毛糸だまの読み方指南」という記事について書いた際、記事の最後に載っている本なら簡易編み図のあれこれも解説されているのだろうか?と書いたが、その本である。

 そのときは疑い半分で書いたのだが、簡易編み図の解説はもちろん、併記されている詳細編み図と照らし合わせて自分の理解を確認できるという、予想以上にきちんとした説明が載っていた。簡易編み図の襟ぐりや袖ぐりにある「/」と「\」が表目だということは載っていなかったが、まだ全部読んでいないので断言はできない。それを抜きにしても、この本があれば何日もかけて簡易編み図を解読する手間は省けただろう。

 2冊の基礎本の内容にブチ切れ、昭和56年のペラい付録冊子だけでもういいやと思っていた。基礎本と称するものは信用しない気ですらいた。しかし近所の書店にこの本があり、中身を確認する機会があったのは本当に運が良かったと思う。
 しかし、もっと早くに手に取っていれば、とは思わない。あの腹を立てながら調べまくる作業は大変ではあったが、確かに理解の助けになった。もちろんこの本を参照しながら編めばずいぶん楽だったと思うものの、納得したうえで編むというのは少なくとも自分にとってはおもしろかった。バラバラに飛び散った破片を組み合わせてぴったり合ったときのような爽快感は、ただ本を読むだけでは得られない。

 と、困難をも肯定的に捉える思考はこれまた追い詰められて生きるしかなかったせいなのかもしれないな、と思う。何事も容易にいかないのが当たり前。全力で考えて工夫して対策をとってようやくなんとかなる、という状態でなければ安心できないような。努力もせずに得られたものには落とし穴があると疑わずにいられないような。現に、うまくいかなくて当たり前と考えている始末なのだ。

 もうちょっとなんとかならないものかな。