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編む目的とは?

 靴下、もうすぐ20cm。
 棒針で長さを測る習慣がついてしまったのはどうなんだと相変わらず思う。
 けれども、よく考えれてみれば別にそれで何が困るわけでもないな。もちろん20cmの棒針で15cmを測るなんていうことは、正確に測れない自信があるのでさすがにやめておく。でも20cmの棒針で20cmを測ることのどこに問題があるというのか?

 何を開き直っているのかと思う。
 でも、こういう性格だから以下のリンク先のようなセーターに興味がわくのかもしれない。

EPS(エリザベスのパーセントシステム)の秘密

たた&たた夫の編み物入門


 比率で各部の大きさが決まるので、基準にするひとつの部分だけしっかり計測すればいいというのがおもしろい。もちろんこの比率が万人に適するものなのかは怪しいけれど、1週間程度でセーターを編めるくらいの技量になったときには試しに1枚編んでみたいと思う。

 このセーターを考案した人は、紹介記事をいくつか読んだ限りでは一癖ある印象だ。ちょっとわけがわからないなという部分もある。


 この記事のなかで、彼女の主張は「上手く編もうとするな、上手く編むよりも、心穏やかに編むことの方が大切だ」と要約されている。
 原文を読んでいないので細部はわからないが(まあ原文を読んでもたぶんわからん)、少し考え込んでしまった。

 「うまく編むことより楽しく編むこと」を重視するのはわかる。
 要するに、技術重視か楽しさ重視か、人間の欲求のうち異なるタイプのものを比較しているのだと。

 ならば「うまく編むことより、楽しく編むことより、書いてある通りに編んだら書いてある通りのかたちになる」を重視するわたしのような人間はどのへんに位置するのだろう。

 技術においては「自分にしては上出来」でいいし、編む楽しさも正直よくわからない。編むのは辛くないが、楽しいわけでもないと思う。
 何をやろうとしているんだろうな、自分は。