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そもそもを考える

 突然だが「何を、なんのために」を明確にすることは重要である。
 といってもこれは社会人として重要だと思うだけで、目的なしの「とりあえず適当に」で何かをすることも同じくらい重要だ。というか、わたしとしては後者の方が本能的な行動だと思い、人としての本質の多くははこっちにあるのではないかと考えている。なんの話だっけ。
 「何を、なんのために」をしっかりと自覚していると、望まない方向に逸れることが少なくなる。加えて、もし迷ってしまったときには、そこに立ち戻って物事を検討することができる。「そもそも俺はどうしたいんだっけな」と。クマを入れる壺を編んでいる気がするんだけれど靴下を編もうとしていたんじゃなかったか?

 そんなわけで、分散増し目である。
 虎バターになりかけている時点で挙がっている方法は以下のふたつ。

  ・前身頃とうしろ身頃それぞれで、106目を108目に増やす
  ・とじはぎで輪にするときに減る分を2目と仮定し、(106目×2)-2目から(108目×2)-2目に増やす

 うんざりしてきた。最初は単に106目×2から108目×2に増やせばいいのかと考えたのだが、前後をつないで減る目数も考えなきゃ駄目だろと気がついたらこんなことになった。
 それというのも、分散増減法がどれくらい重要なのかがわからないのがよろしくない。そもそもこれはなんのために必要なのか?

 適当なところで増やしちゃいけない場面ってどんなだろう。……模様編みとか編み込み模様かな?
 とある丸ヨークのセーターについて、「模様に影響しないところで減らすような設計で感心した」という意味のブログ記事を読んだ記憶がある。だから、適切な減らし位置というのがあるとすれば編み込み模様では、と思う。同様に、模様編みでも影響しそうな気がする。

 あとは、手首のゴム編みが細く締まっていてその上からいきなり大きく袖がふくらむようなデザインもかな。たくさん増やさなきゃいけないし、均等に増やさないときれいにふくらまないと思う。
 かぎ針であみぐるみを編むときなんかもまさにこれなので、編み物において「均等に増やしたり減らしたり」が必要な場面はなんとなくわかってきた気がする。

 ならば、212目から216目に増やす=1.01倍にする場面では、どのくらいの厳密さが必要か?

 ……無地だし模様編みもしないし、どうでもよくないか、このくらい。


 というわけで、編み図を素直に読んで「106目を108目に増やすのを前後それぞれに分けて考える」という方法でやることにした。
 最初からうがった見方をせず余計なことを考えずにやれよと思うが、いつものことである。

 そしてまたもや今更なことに気がついた。

 そもそも分散増し目というのは、そういう計算をしなければならない場面以外では「分散増し目」という語は使わないのでは?
 実質的には分散して増し目をするとしても、「このへんでいいかな」で済むのであれば分散増し目の計算をしなくていいものなんじゃないか。もしかして。もしかしないな絶対に。

 ギターで「ブルース進行」とかそういう言葉を聞いても「名前なんかどうでもいいだろ」と完全に無視してきたような人間なのに(わたしは何事も「こういう感じ」で把握するのみで名付けをしない癖がある)、編み物では理論に引きずられまくっているのはなんでなんだろう。
 理屈がわかんないと編めないし編み図が理解できないし、「こういう感じ」という捉え方すらできないからだな、きっと。ギターは理屈わかんなくてもなんとなくで弾けちゃうもんな……音符の長さすら「このくらいがいい感じかな」でだいたい問題ないしな……(ただし楽典がさっぱりなうえセンスもないのでオリジナルはできない)。

 編み物も「いつの間にか」こんな感じでやれるようになっていたらよかったのだが、どういうわけかそうはならなかった。なぜだ。