昨日の投稿を書いた直後、つま先から編むことへの興味が乏しい他の理由を思い出した。「他の」といっても、たぶんこれがいちばんの理由(なぜそんなものを忘れる?)。
メリヤスはぎやゴム編みの作り目よりも、ゴム編み止めの方がめんどくさい。
ゴム編み止め自体は捨て編みをすればできる。が、完成間近で60目のゴム編み止めをするよりは、その半分以下の目数をメリヤスはぎする方がすぐ終わる。おまけに履き口を最後に編む場合、別糸でゴム編みの作り目をするという楽しみがない。
いま編んでいる靴下の作り目を7回ほどやったせいかどうかは不明だが、シンカーループを拾いやすくするとか、捨て編みをほどかずに済ませるとか、そういう工夫を試しているうちにもはや楽しみとなった。 狭い円周の内側のシンカーループを30個も拾うなど、面倒なことこのうえない。でも短期間で210個拾ってしまったのだから、30個くらいは今更という気分になっているのだろう。
これは大学時代にちょっとドイツ語をかじったときと似ていて、文法も単語もよくわからないドイツ語の講義を聞いたあとに英語の講義を受けるとなんだかひどく簡単に思えた。もちろん錯覚なのだが、多少なりとも英語が頭に入りやすくなったことは事実だ。
ちなみに昨年、半年だけNHKのイタリア語とドイツ語のラジオ講座を聞いていたのだが、イタリア語のあとに聞くドイツ語は簡単とまではいかないものの、ひどく聞き取りやすかった。錯覚すごい。
とはいえ何事においてもこううまくいくわけではなくて、相変わらず作り目はかぎ針で編みつける方法なしではうまくできない。捨て編みというアイデアが浮かぶ前のゴム編みの作り目も、別糸はかぎ針で編みつけていた。
指でかける作り目も、マルティナさんの編み進める作り目も、どういうわけか未だにできない。操作自体はできるのだが、実用に耐えうる作り目ができない。
これはよろしくない状況だ。かぎ針がなければ棒針編みができないということになる。かぎ針編みはかぎ針だけで完結できるというのに。どうにかしたいが……まあ、かぎ針あるしな。
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