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編みかけを数え上げる

 編み物をしていると必ず発生する「編みかけ」。ひとつしか編んでいなければ編みかけはひとつだが、ネットの世界をあちこち見ているとたいていはふたつみっつ、いやそれ以上の編みかけが生じるものらしい。
 同時進行のものも放置されているものも、すべてひっくるめて編みかけと呼ばれている。そして放置されているものについては、ややうしろめたさを感じることが多いらしい。そういうものなのか。

 というわけで、いまの自分の編みかけの山を崩して並べてみたのがこれだ。
 あれっ?
 こんだけ?

 おかしいな……あっ、あみねこは数日前に仕上げたからか。でも他にもっといろいろあった気がするのだが、ふたつだけ? 数日前もみっつだけ?

 しまう場所が決まらずテーブル上のかごに入れたままの毛糸のあたりを探っていたら、もうひとつ発見した。
 変則ゴム編みの作り目のサンプル……
 いや、サンプルといえどもまだ変則ゴム編み止めを試していないから編みかけだ。そういうことにする。

 それからこれ。
 モチーフ編みの途中のやつがひとつ。
 でもこれ、最終的にたくさんつなげて何かに仕上げるつもりではいるのだが、まだ特に決めていなくて気分転換にだらだら編んでいるうちのひとつだしなあ。
 今のところ、重ねてみて達成感を味わうだけのものになっている。これは編みかけとは言い難いか。

 思っていたよりずっと少なくて少しがっかりした。

 編みかけのいいところは、興が乗ったら次々とできあがることだ。まず「いつの間にか、途中まで編んだものが複数ある」という状態が必要になるわけだが、それらは途中まで編んであるので、ちょっと大きなものでも残りのいくばくかを編めば完成する。一から編むと完成まで時間がかかるが、途中からならそこまで時間はかからない。
 なので、編みかけを完成させたら次の編みかけが完成するまでの時間は短くなり、結果的に次々いろいろ完成することになる。ぜったい楽しいだろこれは。

 だが、……途中で別のことやるとわかんなくなりそうなんだよな。完全に違うものなら少しは違うかもしれないが、たとえばノースリーブを中断してセーターを編んだら、ノースリーブを再開するときにあれこれ読み返したりなんだりが必要になること必至だ。それにかたちが似ているから、ノースリーブでやっていることをセーターでやらかしそうだ。
 靴下もそう。どっちがどうで次に何をやるのか、どこまで編むのか、わけわからんことになる気がすごくする。

 ならばまったく違うものをいろいろと、と思っても、編みたいもののバリエーションはまだそんなにない。というか、あるけど難しいから中断できる自信がない。
 手袋と靴下とレッグウォーマーとブランケットとマフラー。という布陣でも敷居が高い。手袋以外は中断できないほどの難しさではないけれど(編み込みとか難しいことしない前提)、程よい編みかけになる頃には「もうちょっと編めば完成だから早く仕上げて使おう」という欲が出て最後まで編んでしまいそうだ。

 あとはマルチタスク能力を仕事で使い果たしているせいもあるかもしれない。つまんないことはとっとと終わらせたいがために一度にいくつもの仕事を同時進行で、脳の記憶領域と処理能力がきしむまで進めているから、仕事を離れるとそんなことはできない。
 いや、もともとそういうタイプの人間ではなかったような。料理で複数の鍋釜を同時に使うのは苦手だし、一度にあちこち片付けようとすると空き巣がお帰りになったあとみたいなひどい有り様になるし(だから狭い範囲しかできなくて、ちっとも進まない)。

 子供は一度に複数のことをするのが苦手だというが、まさにそれだ。……まあ確かに子供みたいな要素はいろいろあるな。あることに夢中になったら時間を忘れたりごはん食べ忘れたり。トイレは忘れないように気をつけているがたまに膀胱が痛くなるまで忘れていることもある。

 要は編むのが速ければ「次々いろんなものが」という夢のような事態になるのだろうが、そこまで速いわけじゃないしな。だから編みかけを溜め込んで、ある時点でまとめて仕上げたいのだが。

 どうやって10年以上もあみねこを放置できたのか、昔の自分に尋いてみたい。
 たぶん編み物をする時間がなくなったせいだろうなあ……それはそれでいやだ。