何故この世には50gのソックヤーンというものが存在しているのか。それで足りる靴下もあるからか。短い靴下を好まないため、初めて50g玉を使うときはおっかなびっくりだった。と思う。少しは。いや、残りが60gを切っていれば毎回足りるかどうか冷や汗かいてるな。
といっても前回50g玉を使ったときは、同じものが2玉あったのでなんともなかったか……残った分で編んだときに、足りるかどうか不安になったんだった。「自分で履くから足りなくなったら適当に足せばいいじゃん」とつねづね考えているというのに、いざとなったらどうにかならんものかとあれこれ試行錯誤する始末。
試行錯誤で解決できなくて、人前で靴を脱ぐのをためらうような結果になった靴下もあるわけだが、
今じゃ別になんも気にせず履いてるな。 まあこんなもんは「左右の区別がつけやすい」とか(わたしは手編みの靴下でも左右を決めている。先に編んだ方が右)、古典的な泥棒のイラストが目の回りに巻いてる黒い布みたいだとか、個人の特定防止のために写真や映像の目のところに入れる黒線みたいだとか、編んでいて思ったことを素直に白状すれば済む話だ。うまくすれば笑いもとれる。
とはいえ笑いをとるために靴下を編んでいるわけではないので、まあ、基本的に変じゃないものを編みたい。たまにデザインからして変な顔のあみぐるみとかもいるわけだが、靴下に関しては「変な顔だけどかわいい」といった感じの印象はなくていい。
そういえば、「すごい」っていうのも嫌なんだよな……
編み物に限らず、手作りのものはだいたい「すごい」と云われてしまいがちだと思うのだが、自分の作ったものにそういう言葉を向けられると「いやわたしでも作れているんだからすごくないぞ」と思う。わたしごときが作れている時点で、「こいつにできるなら自分でもできそう」くらいに思ってもらうのが筋ではないかと思う。
ちなみにうちの母親は、わたしが初めて編んだ靴下を見せたら履き口をひっくり返して「こんな模様が出るのに編み込みじゃないなんて」と感嘆していた。実家で編んでいるときに「この毛糸、1本だけなのに模様になるんだよ」と話したので、もしそれがなければ「何本の毛糸で編んだの?」という感想だったのではと思う。こういうのは驚きを共有できるので、すごいと云われるよりこっちの方が好きだ。
それはともかく、次に編む靴下にメインで使う毛糸はこれである。
ひとつしかない。 50g玉がひとつだけ。である。
どうすんだこれ、というのは買った瞬間からあった。アルネ&カルロスがデザインした毛糸を探していた時期があって、フリマアプリで見つけたこれを買ったわけだが、出品理由が「買ってから50gだと気がつき、それでは足りないので」というものだった。
わたしの靴下も基本的に1組60g前後である。なのに買った。だって、きれいだし。なんならもう片方は別の毛糸で編んだものにすりゃいいじゃん。くらいに考えていたのだが……柄の出方は違っても同じ毛糸で編んだ靴下のセットがいちばん落ち着くとわかり、どうすんだこれ。
他の用途が思いつくはずもないので、残ったソックヤーンで編むときと同じように別の単色毛糸で、履き口のゴム編みとかかととつま先を編むしかない。
ここで役に立つのが同時編みだ。これまではまず片方を編み、もう片方で糸が足りるかどうか戦々恐々としながら編んでいたわけだが、自分でも同時編みができるとわかった今、足りなくなっても両方おそろいの策で対抗できる。片方だけだと変でも、両方同じにすればデザインである。
というわけで、毛糸玉の重さを量って中心をごそっと抜いて二分割。
簡単なようで難しかった。毛糸玉は49gだったのだが、最初に中身を引きずり出したら20gしかなかった。というかそもそも半分ってどのくらいを掴めばいいのか見当がつかない。そこから重さを25gほどにするのも大変で、だいぶ追加したつもりなのに1gしか増えないし、ひき肉を分けるようにできないものかと詮ないことを考えたり。 50g玉はあと3色あるというのに、毎回ここで苦労する羽目になるのか。効率的な方法を見出す前に編み終えてしまいそうだ。
それなりに手軽だと思っていた編み物は、相変わらず編むこと以外が大変だ。いやかぎ針だけやっていたときはそんなことはなかったから、棒針編みが大変なのか? それとも、身に着けるものだから大変なのだろうか。
今のうちに「編む以前に大変なあれこれ」に慣れておけば、編むこと自体が大変な何かを編むようになる頃にはそんなに苦労せずに済むかもしれない。と思うことにしよう。
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