編み物本やInstagramを見ていると編みたいものは増える一方だ。編み込み模様がふんだんに使われているものはさすがにまだ技量不足なので思いとどまれるが、編み方がちょっと変わっている靴下などは「いっぺん無地で編んでみようかな」などと思ってしまったりする。
逆に云うと、編み込み模様や模様編みが少なければ、そのうち編みたいものリストに並んでしまう。いや、実は編み込み模様がたくさん使われているものですでにリストの最後尾に並んでいるものもある。
要するに、自分の技量がどうであろうと編みたいと思う気持ちは止められないというわけだ。
まあ、編みたいと思うだけなら別にいいのだが。編めないうちから毛糸を買ったりしないし、編み図も、書籍として出版されているものを除けば基本的に買わない。編み始められる見通しがついた時点で買うようにしている。
ただ、書籍は絶版になると困るので制限をゆるくしているのだが、こちらは書店で手に取って目を通すと意外と「別になくてもいいかな」で済んでしまうので、無尽蔵に買う羽目には陥っていない。
むしろ手芸以外の本がやばくて、幸か不幸かうちから数駅先の書店がツボを突いた良書を揃えてくれちゃっているため簡単に万札が飛んでしまうので、書店に行くのをかなり制限している。だから編み物の本を買う機会も少なくなっており、加えてネットで買う場合はバカみたいに慎重になってしまう性格もあり、結果的に制限をゆるくしても問題は生じていない。
問題は、編みたいものリストが果てしなく増えていくということだ。
とにかく親に怒られるくらい本ばかり読んできた人生だったので、高校か大学あたりのときに読みたい本のリストを作ったらとんでもない量になってしまった。あまりに大量すぎてリストを捨ててしまったくらいに。以来、リストというものはなるべく作らないようにしてきた。怖いから。人生に絶望するから。
といっても、現在の生活はリストを作らなければ忘れてしまうことがたくさんあるので、ネットショップで気になったものを欲しいものリスト的なものに追加するということをしている。
しかしリストが大量になるのが怖いので、定期的に見直しては削除している。まあ、基本的には必要なものはすぐ買うし、長期間リストに留まったままのものはなくても困らないのだと気づいたので、今のところ怖い目には遭っていない。
だから、Ravelryのお気に入りリストも定期的に見直しているのだが……これは買い物とは質が違うというか、ずっとリストに載っているのは必要ないわけじゃなくてまだ編めるだけの技量がないから、というものが多いので、意外と削除できない。
実はそれなりの量になってきたので見るのがちょっと怖い。なので確認を先送りにしていても、これはと思うものを見つけてはお気に入りに追加してしまうので、いいかげん整理をしなければと決心したときにはリストの前で絶望的な気分になる。
なんでわたしがリストごときで絶望を味わってしまうかというと、人生が足りないような気にさせられるからだ……
本はまあ、1冊あたり長くても丸2日で済むんじゃないかと思う。考えながら読むと時間がかかってしまう質だが、3日以上かかる本はたぶんないと思う……思いたい。
では編み物の場合、編み図ひとつにつき何日かかるのか? この問いで絶望するのだ。だってセーター1枚、ノースリーブ1枚でそれぞれ3か月である。単純計算すると着るもの4枚で1年かかるわけだが、その1年の間にお気に入りに何件追加されるのか。しかも、編みたいものはRavelryの外にも存在するのである。
そう考えると絶望的な気分になる。編みたいものを編めないまま死ぬしかないのか、と。
それにしても、年に182冊読める計算になる本のリストが同様の気分にさせるほど恐ろしい長さになったということは、あのリストは何冊だったんだろう。恐怖のあまり正確な数は覚えていない、というか、数えるんじゃなくて読みたい本を書き出した紙の枚数にびびったんだったな。……ちょっと追及するのはやめよう。思い出したらまずい気がする。
編みたいうえに本も読みたい。しかもやりたいことは他にもたくさんある。仕事もしなきゃ生きていけないし。
だからいろいろ厳選しなければ、と思う。もう本はしょうがないので読めるだけ読み漁るしかないが(残念なことに自分が読みたいと思ってつまらなかった本は数えるほどしかない)、せめてRavelryのリストはなんとかしよう。しなければ。1分で200目編めるようになるより、編みたいものを厳選した方がきっと早い。
以上も読書にかまけて編み物を完全に忘れる数日前に書いた下書き。「編むものを厳選しろ」という考えはいいのだが、なんだ、この時点で読書に関していろいろ諦めているじゃないか。
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