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納得するまで

2024/09/02
 この土日で編んだもの。
 グラニースクエア2枚に逃避して、それから半袖プルオーバーの片袖を34段。

 今回は詳細編み図があるのに、簡易編み図の割り出しを解読して別に詳細編み図を起こして照合するという意味のわからないことをしているわけだが、さすがにもう袖はいいやというか図は起こさずに目視で確認で済ませてしまった。割り出しを頭のなかで解釈して、図と照らし合わせて、これで矛盾はなさそうだぞと。
 危ういなと思う。今のわたしのレベルでこれは危険だぞと。
 が、今回は「6段編んだら次の段で増し目」という日本ヴォーグ社方式ではなく、「6段目で増し目」という方式で書かれている編み図なので、割り出しと図に矛盾がなければいいやということにしている。というか、本来は簡易編み図だけで編む人は脳内で処理して編み進めていくのだろうから、少しは進歩なのだろうか。

 まあ、進歩といっても割り出しだけしかない状態では何もできないけれど。それに画像上部の「37」のすぐ上にある「10段」で数分くらい戸惑ったし。そこ「40段」だろうよ。なんだよ誤植かよ。初心者はこういうことされると「この図で何かが省略されているのか? どこから数えて10段なんだ?」って無駄に混乱するんだよ。まじ勘弁して。
 しかも誤植だと結論づけても、半日くらいは「でももしかして」と不意に不安がわき上がるという。勘弁しろよ自分。めんどくさいなほんとに。

 めんどくさいといえば、肩はぎの指示が「目通しはぎ」だという。なんだそれは初耳だぞ。また調べなきゃなんないじゃないか。

 この編み図(雑誌から切り取って保管していた)が載っていた雑誌の別の号を処分し忘れていたので、そちらの編み方説明のページを確認してみた。すると、図で説明されていることが過去にやったことがある方法と同じではないかと思えた。

 基礎本の肩はぎの説明を読み返してみると、「かぶせはぎ」と同じ方法のように思える。図解はほとんど大差ない。でも、雑誌にも基礎本にも別名がどうこうということが書いていないので、疑い深いうえに自分を信用していないわたしは調べ始めてしまう。

 まずはこの頼れる冊子
 着るものを編み始めたらさすがにこの冊子の情報量では足りなくなってきたのだが、基礎本を先に開く基準は「冊子に載っていなさそうなことかどうか」である。つまり、未だに標準は昔の付録冊子。
 で、やはりこちらは「とじはぎの説明が少なかったような」という記憶の通り、かぶせはぎも目通しはぎも記載なし。はぎ方は、メリヤスはぎ・ガーターはぎ・引き抜きはぎの3種のみである。

 次はネットで検索し、まずたどり着いたのがこちら。
『棒針編みの肩のかぶせはぎ~捨て編みによる方法』

『棒針編みの肩のかぶせはぎ~捨て編みによる方法』

所長の伊藤です。  棒針編みでウェア作品を編んでいて、前後身頃の肩をはぎ合わせるとき、通常は「かぶせはぎ」という方法をとります(「引き抜きはぎ」のときもありま…

 本文中に「目通し」という表現が出てくるので、かぶせはぎと目通しはぎは同じものではないかという仮定にひとつ裏付けが取れたような気がする。「気がする」じゃなくてそう考えていいのだと思うけれど、明確に「目通しはぎ」と書かれているわけではないので、もうちょっと情報が欲しい。

 どれだけ猜疑心が強いのかと呆れてしまうが、何かを調べていく過程で「そうかもしれない」と感じられた情報を「そうだ」と断定的に解釈してしまう危険性は大いにある。
 人間は物事を都合よく解釈する性質を多少なりとも備えているので、云った・云わないというトラブル(発言の有無のみならず、曖昧な物言いが相手に伝わらなかったり、誤解を招いたり)は珍しくないのだが、それは目で見る情報においても同じである。

 ましてや編み物はいろいろ面倒で複雑だから、とっととケリをつけたい。そういう気持ちが、「目通しって言葉が出てきたから目通しはぎと同じなのだろう」と安易な結論に流れてしまいかねないのだ。
 そもそも編み方の図解を照らし合わせたといっても、何か重要な違いを見落としている可能性もある。未だに図解や写真解説の理解がゆっくりなので、だからこそ確実なところを知りたい。

 すると、検索結果に以前参考にしたこの動画が載っていた。

●【棒針】【基礎テクニック】セーターなどの“ 肩のはぎ方”3種類ご紹介


 改めて観直してみたところ、かぶせはぎのセクション冒頭ではっきりと「これは『目通しはぎ』とも云って」と説明されていた。

 さすがに広瀬先生が云うのであれば間違いはあるまい。いや、云うことすべてが正しいという根拠はないけれど、コメント欄にも内容を誤りとする指摘もないし(コメント欄と呼ばれるもののいいところは、誤りに対する指摘が見つけられることだ。正確な情報に対して誤った情報を正として噛みついているのを見かけることも少なくないけれど)。

 何もかもを疑ってかかるとなんにもできなくなってしまうのだが、わたしの場合は広瀬先生の説明は基本的に正しいと思っているというか、迷ったときの指標としている。見解が二分されていて自分でも判断をつけられない場合、この人の意見を採る。
 この指標をとんでもないでたらめを吐く人にしてしまうと大変なわけだが、幸いなことに広瀬先生はいろいろ信頼性が高いようなので、まあ間違いはあるまい。
 やっと「目通しはぎ=かぶせはぎ」と納得できた。

 ちなみに、わたしはこの人の説明だけを頼りにすることはしないというか、一応、他の意見や見解というものも調べることにしている。別に広瀬先生の説明を全面的に信頼しても問題はないと思うのだが(そのくらいに思えなければ指標にしない)、別の角度からの意見が参考になることもあるし、本題とは違った情報も得られることがあるからだ。

 もうこれは癖みたいなものだろう。まあ、適当に落としどころを見つけたり適当に済ませたりと基本は適当な性格なのだが、不意にすべてを疑ってしつこく調べたくなることもよくある。何をもってそんな差が生じるのか知ったこっちゃないしどうでもいいが。
 結局のところ、自分で納得できればそれでいいと思う。それでうまくいけばいいし、しくじったらそこで学んで二度と忘れなければいいわけだし。