着る服が上から下まで真っ黒になったのは、確か社会人になったあたりからだったと思う。たぶん「黒ならケチはつけられまい」という安易な発想があったのと、もともと黒が落ち着く色だったから。くそ暑い真夏も黒の半袖シャツにブラックジーンズに黒いブーツ。どれだけ太陽光を吸収したいのか。
だからわたしは服の色を組み合わせることが苦手だ。色鉛筆でいろんな色を組み合わせるのはそれなりにできるが、それを服に適用することができない。いや、色鉛筆でできるのに何故できない?と思うが、服の色となると合っているのかいないのかわからないのだ。
今でこそ上から下まで真っ黒ではないが、組み合わせがしっくりこないことが多い。というか、だいたいしっくりこない。もしかすると傍目にはおかしくないのかもしれないが、自分の目には違和感ばかりが映る。
そういうわけだから、実は人生初のセーターの色合いがしっくりきていない。
こげ茶色と薄茶色の組み合わせなら違和感はないだろう、と思って毛糸を選んだというのに(本に載っていたのは白とグレー)、なんだか変な感じがずっとしている。冴えないというか。 そして複数の色を組み合わせた場合のみならず、単色で編んだものにも違和感がある。
この色でこれを編むのはなんか変じゃないか、などとたまに思う。茶色いベストだと思えばおかしくないはずなのに、ベストでこの色って変じゃないかと思ったりする。 こないだ父に編んだ半袖プルオーバーは指定通りの糸と色だったので違和感は皆無なのに、自分で選んだ色がどうにもおかしく感じられてしまう。
色覚に異常があると指摘されたことはないので、まあ、要するにセンスがないということだ。なかなかに致命的である。これからどうしよう。
こんなだから編み物の世界も正直どうかなと感じてしまうのかもしれない。平たく云うと、だっせえな、と感じる確率が高い。単に地味ならいいのだが、それを通り越してひたすら野暮ったいと思うことが多い。変だろコレというのもよく思う。ちなみに、一頃ナチュラルインテリアが流行した際に雑誌に載っていた家の住人が着ているシンプルなリネンのワンピースは、まるで麻袋に穴をあけた貫頭衣にしか見えなくて「正気か」と思った。
ともあれわたしにはセンスがない。
でも最近、確かに自分にはセンスが著しく欠如しているものの、合わせ方次第で良さが台無しになっているものも世間にけっこう氾濫しているんじゃないか、と少し思う。
もちろんそこにはわたしの趣味嗜好も関係していると思うが、それを抜きにしても出来を損なう組み合わせというのは珍しくないのではないか?
それに気がついたのが、ベストアイズコレクションに掲載されていた作品がメーカーの展示会で展示されている写真を目にしたときだ。
ベストアイズコレクションの作品の一部は以下の記事に掲載。
何が驚いたかって、本に掲載されていた作品と並べてみるとえらく違って見えたのだ。
※画像は上記サイトより引用
組み合わせひとつでこんなに印象が変わるものなのか。どちらも本で見て編みたいと思った作品なのだが、展示されている方の写真を見ていたら編みたくならなかっただろう。 展示会の写真から受けた印象というと、まず上の作品は野暮ったい。色もバランスも変だと感じる。
が、本で見たときには青と茶色との組み合わせが魅力的だと感じたのだ。上半身はニットに近い色なのに、スカートがまったく違うトーンの色(ただしニットの一部に混じっている)で、それで調和がとれているのが目をひいた。
下の作品は、袖がぴったりなのに身頃は寸胴気味というのに加えて、胸元に見える肌の面積で全体的におもしろいバランスだった。ちぐはぐな感じと毛糸の色のばらつきが更におもしろくしていると思ったし、袖口だけやけに明るい色なのも変でいい。
が、展示会の写真では冴えないシルエットで変な色のカーディガンにしか見えない。
ベストアイズコレクションについては、過去に「モードっぽい作品が載っている」という意味のことを書いたが、服や色の組み合わせでここまでモードとほど遠くなるとは驚きでしかない。それとも、作品自体だけではなく組み合わせの妙もあって「モードっぽい」と感じていたのだろうか?
ということは、他の本で見かけたこんなの着て外を歩くのかよと思った作品も、組み合わせ次第で印象が激変することもあり得るのではないか?
わたしには相変わらずセンスがない。とりわけ下の作品について何が魅力に感じたかということを書いている間、おまえは音楽だけじゃなくて服でも不協和音が好きなのかよとさすがに呆れた。
いや……もしかして、自分の編むものや着るものに違和感を感じるのは、事もあろうに「無難なもの」を見出そうとしているのだろうか。
上から下まで真っ黒の時代は「社会が文句を云わない色」という意識はあったが、はっきり云ってそれだけだった。ジーンズにブーツの時点でまず駄目だろ。職場は露出さえ控えていれば服装にはさほど厳しくなかったから咎められなかったけれど。
その当時にくらべれば、今はいろいろ適当だし妥協している。要するにどうでもよくなっているわけだが、かつては「おもしろくもない仕事をしなきゃなんないんだからせめて服くらいは好きなものを着よう」という気持ちがあった。気に入らない服を着てつまらない仕事をするなんてまったく無意味だ、と。
それが今では「文句を云われない程度の服を着てりゃいいか」である。いやそんなんで仕事してたら死ぬほど嫌気がさすの当たり前だろうよ……
なんの話だっけ。
とにかく、組み合わせだ。高級なフォークもリング上の悪役レスラーに持たせればただの凶器だが、もし食事時であれば刺す対象は対戦相手ではなくトマトだろう。組み合わせがどんな結果をもたらすかは結局のところ意志だ。
わたしには確実にセンスがないが、いつの間にか意志まで欠けてしまっていた。「堂々としていれば変な服を着ていてもバカにされない」というのが10代の頃からのわたしの信念である。
だから「これならおかしくないだろう」なんかで毛糸を選ばず、気の向くまま好きなように選べばもっとましなものができるはずだ。
さんざん好き勝手やってきたんだから、今更無難なところに落ち着こうなんて無理というか、柄じゃないんだからやめとけ、という話。
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