都内に住んでいた子供の頃、「けいどろ」というのがあった。おそらく「警察と泥棒」の略で、警察役が泥棒役をつかまえるという一種のおにごっこ。こうやって文字にしてみると、「おにごっこ」は「鬼という悪いもの・怖いものから逃げる」というゲームなのに、けいどろは正義の象徴であるはずの警察から逃げる構造なのだと気づく。
まあ、警察が善で泥棒が悪という単純な世界ではないことはある程度の年齢になればわかるのだが、たかが9歳とか10歳でそういう複雑さに知らないうちに触れているというのは妙な感じだ。
「けいどろ」という呼び方はもしかしたら権力に反感を抱いているどこかのおじさんが、近所の子供に「こういう遊びがあるよ」などと設定のおもしろさで関心を引き、皮肉な構造のおにごっこが広まっていった、とかそういう変な想像をせずにいられない。
80年代の東京23区の端っこの小学校で「けいどろ」と呼ばれていたおにごっこは、少しあとに千葉県北西部の小学校に転校したら「どろけい」と呼ばれていて驚愕した。
おもしろいことに、子供の頃は「正否」や「善悪」という言葉など知らないのに、「よいもの・わるいもの」の順に並ぶのが普通だと感じていた(こういう感覚は何によってもたらされるんだろう?)。だから「けいどろ」という名称に違和感も感じなかったのだろうが、千葉だと泥棒が先。わるいものが先。なんで?
本当にびっくりした。
それを思うと、編み物における呼び方の違いはまだましというか、それなりに納得できる。
たとえば主要な編み方である「棒針編み」「かぎ針編み」「アフガン編み」については、前2者は「使う道具+『編み』」という構造で、最後のアフガン編みだけこの型には合わない。が、アフガン編みはアフガン針だけでなくかぎ針でもできるので、これだけ「編み方+『編み』」とか「編み地+『編み』」とか、イレギュラーな名づけになったのかもしれないな。くらいには想像できる。というかこじつけられる。
なので、「棒編み」「かぎ編み」という表現は、「アフガン編み」という語の構造に沿って変えたものなのだろうな、と思ったりする。だから「アフガン針編み」という表現をする人も皆無ではないだろうと思う。
でも、なんで「けいどろ」が「どろけい」になるのかは理解できないんだよな……
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