タティングレースの練習で頭が少し疲れたので、息抜きのつもりでこないだのドイリーの金票40番バージョンを編んだ。
だがこれは息抜きどころではなかった。
編み方そのものは(いつも書いているように)難しくない。模様のパターンもそれほど複雑ではない。
が、小さい。
くさりを輪にした作り目にこま編みを編み込み、こま編み1目あたり中長編み2目を編み込む2段目を編み終えた段階で、直径1cmちょっと。人さし指の先に載るサイズ。 でここから中長編みに、中長編みの裏引き上げ編みを編みつけていくという……ただでさえこの大きさを深爪の指先で保持するのが大変だというのに、糸をかけて裏から針を入れて隣の空間に裏方向に針を入れろだと?
キレても編み図は変化してくれなどしないので(したら怖い)まじ勘弁してくれと思いながらなんとか編んだ。まあ、元の編み図はエミーグランデで編んでいて、それをわざわざ金票40番で編んでいるのは自分のせいなんだけどな。息抜きどころか、艱難辛苦に身を投じ続ける苦行僧さながら。いつかはわたしも無心で編める境地に到達できるのだろうか。
無心といえば、最近の編み物ブームで「編んでいると日々のあれこれを忘れて無心になれるのが癒し」だという言説をよく目にするけれど、そういうもんなのか?と思う。癒しもクソもない人生なので癒しがどうこうというのは無視するとして、編んでいると「なんで東洋の一部だけに表意文字が生まれたんだろう」とか「言語の仕組みは思想の形成に影響するものなんだろうか」とか、どうでもいいことをつらつら考えてしまうので、どうやれば無心になるのか教えて欲しいくらいだ。起きていればずっと何かを考えているし、寝たら寝たで夢ばかりみるし、脳の疲弊度は250歳並みなんじゃないか、というのが15くらいの頃からの悩みなのだ。
なんだっけ……
最初の3段で息抜きなんかじゃないとわかっても、途中で放り出したくないのがドイリー。そんなわけで集中的に編み続け、やっと終わって糸始末(余分な糸はピン打ち後に切る)もしたらこうなった。
いつになくヨレヨレ。 くしゃっとしているんじゃなくて、まごうことなくヨレヨレ。
ものすごく下手だという現実を突きつけられたことに軽くショックを受けたまま寝て起きて、他のことをしながらしばらくドイリーから目を逸らし、ようやくピン打ち。
何コレ気持ち悪い。ガイド線とピンがたくさんで線ばっかり。 いったい自分は何をやっているのだろうと暗い気分になりながらスチームをかけた。
ダルマの20番レース糸で編んだもの(ピン打ちなし)と比較。
20番で編んだやつはヨレヨレじゃないのになあ。
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