なんとかなった。というか、なんとかした。
たぶん……第一作としては及第点ではないかと。たぶん。ピコがひとつ足りないとか大きさが不揃いだとか、青緑の糸部分の円弧が均等ではないとか、突っ込みどころはいくらでもあるけれど、妙に目の間があいていたり、派手にかたちが崩れていたりということはないので、雑で適当な初心者がはじめて編んでこれだけできるんだからタティングレースってやってみりゃけっこう簡単なんじゃなかろうか。 いや、もちろん事前に練習はした。でも練習として編んだダブルステッチの数は50もいかないと思うし、ピコだって10個とか15個くらいだったと思う。ただそれで「だいたいこんな感じかな」と感覚を掴めた(つもりになった)ので、作品を編む前にそこまでもっていけば悲惨な代物にはならないのだろう。
そして云うまでもなく、もたもたと、ひたすらもたもたと編んでいる。Instagramなどで見かける、一定のリズムで手を左右に動かす境地なんて未だ彼岸の彼方である。右手の糸を通して、左手の指をゆるめつつ右手の糸を引っ張って、目が移ったら左手の糸を張って締めて、と遅いのなんのって。
しかし遅いとはいえ、セクションごとに編んでいくので「いつまでも終わらねえ」という絶望感とは無縁だ。
セクション単位で編めるため、ちょっくら編むか、というのも気楽にできる。普通の編み物だとつい当初の予定よりも編み進めてしまったりするが、これはセクションというやめどころが明確なので適度なところで切り上げられるのだ。
今回はエミーグランデを使用し、大きさはこのくらい。
なかなかの小ささである。タティングレースではもっと細い糸を使う場合が多いようなので、今後は更に小さいものを編むことになるか、直径が大きいものを編むことになるのだろう。糸が細ければ細いほど繊細なものになるのだろうな。 ……ということを、人生初のドイリーを編むときにも思った。中細毛糸より更に細い20番レース糸なのだから、より丁寧に編んでいかなきゃならんのだろうな、とも。
でもいざ編み始めてみればおもしろいのなんのって。勢いにのってがしがし編み、しかも延々と強面なニューヨークのアングラハードコアバンドを聴きながら、である。繊細さもくそもない。音が糸に染み込むわけはないのだけれど、どうしても自分の編んだレース編みのブツはなんだかいかつい印象だ。「優雅なレース編み」とか「華麗なドイリー」という本の題名が別世界のものに感じる。
ここから音楽の話が中心になるので余談。タティングレース関係なし。
で、ならば今回のタティングレースの作品は何を聴きながら編んでいたかというと、薄汚れた野郎どもが打ち鳴らす騒音じみた心地よい音楽ではなくて。
●【The Street Sliders】摩天楼のダンス天国 The Street Sliders ”Live”
わりとまともな音楽だけれど、まあ、やっぱりレースの百万光年彼方のやさぐれたロック。日本語の歌詞が大変に苦手で日本のポピュラー音楽を聴けない自分が例外的に好きな、数少ない日本語のバンド。
わたしは日本語(現代の言葉)の歌詞のものは表現にいちいちイライラするので聴けない。
20代の頃に好きだったバンドですら、歌詞のちょっとした語句が(おそらくメロディに合わせるために)おかしいものになっており、それが気になりすぎてだんだん嫌気がさして聴かなくなった。曲自体はすごく好きなのに、平仮名の数文字で台無し。病的。リー・メイヴァースだってここまでひどくないんじゃないか。
ひどい歌詞であってもそれを振り切るほど曲がよければ聴けるのだろうが、残念なことにそこまですごいと思える音楽に出会ったことはない。昭和歌謡や演歌は言葉がしっかりしているし、グループサウンズも少ない言葉であれだけ情景を想起させるのはすごい。なのに気がついたら、そういう日本語を使う同時代のロックやポップスがどこにもない。いや、わたしの感覚が古いだけなのかもしかして。
まあそんなわけで20代のはじめくらいで「歌詞がクソだろ」と絶望してしまい、かつて好きだったものも実はみんな下らないと気がついてしまったわけだ。趣味嗜好が急速に極端な方向に進んだせいもあるのだろうが。あといい本の読みすぎ。
以来、聴くものは歌詞がないものか、あっても自分には理解できない外国語。おおよそわかるものももちろんあるし、歌詞の日本語訳も読んだりするが、そこにおいて言葉の選び方をどうこうする余地はないので意味だけ汲み取る感じ。
なのに先日、ふと思い出したのがストリート・スライダーズ。13歳くらいの頃にベスト盤を持っていたがもう手元にはない。風が強い日でなければ思い出すこともほとんどなかった(「風が強い日」という印象的な曲があるのだ)。
名前を思い出すと同時に「歌詞よかったよな」と思った。断片的に記憶している言葉と音楽の感触が妙に心地よく、YouTubeで80年代の演奏(自分が聴いていたのはその頃なので)を再生してみたら、昔と変わらず好きだった。
●ロックスペシャル ’88 スライダーズ
なんで聴くのやめたんだろう。この何十年かの間もったいなかったな。
更に余談で、今回はじめてハリーが1959年生まれだと知った。だからなんだという話なのだが、わたしが自分の人生に欠かせないと強く思うBlixa Bargeld、Rowland S. Howard、Lydia Lunchの3人全員が1959年生まれなのだ。単に音楽が好きというだけではなく、多種多様な部分で影響を受け続けているのだが、ハリーもこの3人と同年代だとは。なんかあるのかこの年って。
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