厚手のパジャマなのになんだかうすら寒い気がして、セーターに着替えた。ぬくい。次の冬もこの毛糸で着るもの編もう。靴下は……ソックヤーンがそこそこあるのでまずはその消費からだな。
それにしても……
何度もゴム編みの作り目の練習をしたというのに、盛大なうっかりミスをやらかしてさすがに自分に嫌気がさした。大丈夫かこいつ。どうしてこんなにアホなの。
本当にどうしようもない頭だなと自分に疲れてしまったが、遠回りだけれど前に進んではいるのだと己を信頼することにした。
最後でちゃんと辻褄は合ったのである。変な方向に逸れてもちゃんと戻ってこられたのはある意味すごい。と思うことにしよう。
それにしても、わたしは直感でいきなり結論を出せたり根本的な問題を見出したりできる方なのだが(なので他人に説明するために結果から過程を導き出すという妙な手間が生じる)、こと編み物に関してはそうはいかないのはなぜだろう。
とにかく直感が仕事をしない。編み物こそ「あっそういうことか」というひらめきのような理解が必要なのに、「なんでここで1目足して考えるんだろう」などと詮ない疑問にかられたりする。
答えに困る疑問がわいてしまったことはさておき、早くも忘れかけている分散増し目。まずは目的の「106目を108目に増やす」はこうである。
図の下にある数字はゴム編みの目数。ゴム編みの何目めにきたら増し目、というのがわかるように書いた。
でも、35目編んで増し目・36目編んで増し目とやって、最後に残ったのはいくつかなって数えれば済むんじゃないのか。と、目印のマーカーつけてから気づいた。
……まあ、図に書いた通りの位置にマーカーつけて、3分割されたそれぞれの部分の目数を数えたら35・36・35だったんで、合っていた。ちゃんと辻褄合った。
あああ。なんか病的っていうか無駄に慎重っていうか、どこに一生懸命になっているのか自分でもわからんぞ。
動画をみて情報を整理してきちんとまとめるのはいいんだけどさ。
なんか不安でもあるのか……それとも自分に自信がないのか……最近の自分のアホっぷりですっかり自信喪失して不安になっているのか。
けっこう昔に英語の勉強に本腰を入れて取り組んだことがあって、でも基本に不安があったので英検3級の勉強をした(中学のときに最後にとったのが4級だったから)。30近い大人がそれかよと思うが、実用的な勉強というのは地道にいくのがいちばんだと思っているので……。
で、試験ではヒアリング1問を間違えただけというくらいにはなったのだが、そのときの勉強でいちばんイライラしたのが「いつわからない単語が出てくるか」ということだった。
少なくとも英検3級の参考書や問題集に出てくる英語は辞書なしで読めて意味もわかるのである。わかるのだが、いつまでも「わかんないな」と思わないことにイライラしていた。
こうやって筋道たてて文章に書いてみると、当時の自分はさすがにおかしいと思う。わからなくならないことが苛立ちの原因という、普通とは正反対の事態になっていた。なんでだろう。
おそらく、自分のなかに「英語はわからなくて当たり前」という前提が深く根を下ろしていて、それに相反する状況を異常で不快だと感じていたのではないかと思う。上達するために勉強していてもなおそれが払拭できていないという、まあ、やっぱりおかしいな。
おかしいのはともかくとして、いま編み物で些細なことにつまづいて変なことをしてしまうのは、「自分にわかるわけがない」という思いがどこかにひそんでいるせいなのかもしれない。わかるわけがない・できるわけがないから執拗に調べたり試したりする。
いやー、でも着られるセーター編めたじゃん?とそれを着てぬくぬくしながら思う。
子供の頃はもっと自信満々というか、根拠もなく自信を持っていて、それだけで実際なんとかしちゃったりしたものなのだが。それが負の方向にはたらくとこうなるわけか。なんとかした実績があっても駄目なのか。
よろしくないな。
もうちょっと思い切りよくいかないと……悪い面だけに着目して更に向上したりもしたけれど、編み物は失敗したらほどけるんだし、強すぎる思いで自分を振り回すならいっそ派手に突っ走る方向に進んでもいいんじゃね?
と思うことにしよう。いやほんと、人生って思うようにしかならんからな……前向きにいきましょう。
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