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お手伝いクマ

 うしろ身頃は無事にひととおり完了。
 こないだせっかく購入したラバーチューブを使っていないことは措くとして(使いこなせないんじゃないか疑惑)。
 前身頃は今ここまできた。袖ぐりとそのあとの平編みセクションが終わり、これから襟ぐり。
 書き起こした詳細編み図があってこそここまできたわけだが、段の両側で減らし目をするのがどうも苦手だ。できないわけじゃなくて、忘れる。セーターのときも、忘れているのに気がついてそこまでほどいたりした。

 きちんと書いてあるのになぜできない?と思う。
 理由はわからないが、とにかくできない。忘れる。これはよろしくない。ということで、セーターを編んでいるときにちょっとした工夫をするようになった。その結果、両端で減らし目をするときにわたしの視界はこうなっている。
 画面中央に焦点を合わせて拡大するとこう。
 20年くらい前にジーンズを買ったらくれたオマケのクマ。靴下を占領したりしていたあいつである。
 ふだんは毛糸の近くでころころしているのだが、段の終わりの方で減らし目なり増し目なりをするときは、視界に入るところにいて見張ってくれている。
 次の目で減らし目(増し目)だぞというときに全身がぱっと光る……わけではないが、まあ、存在感のある色なので夢中で編んでいても自然と視界に入るため、段の最後でなんかやるんだぞというのを忘れずに済んでいる。

 首のうしろに携帯ストラップのような紐がついているので、たぶんこのクマは何かにぶら下げる想定なのだろう。が、昔から、首部分から下げるというのはこいつに限らずあまり好きではない。かといって脳天に紐をつけるわけにもいかないので、ずっと他の雑貨類とともにしまい込まれていた。

 「使わないけれど捨てたくないもの」というものはどうすればいいんだろう、と何年かに一度は思う。「いつか使うから」ですらないものがわたしの手元にはたくさんある。
 どうにか使い道を見つけたり、このお手伝いクマのように意外な役割を得ることもあるのだが、正直なところそんなケースは稀だ。そもそも「使わないけれど持っていたい」というのはいったいどういう心理なのだろう。

 こんなときに断捨離とか片付けとかミニマリストみたいな類いの本が役に立つのかもしれないが、本を読むのであれば読みたい本は他にたくさんある。整理整頓に関する情報が必要なときなのに、情け容赦ない世界を追求する姿を描いた小説とかを手に取ってしまうのでいつまでも現実に役立つ本というものを読めない。こういうのも、どうすればいいんだろうな。