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編み物計画の再々検討

 自己認識と他人が抱くイメージが著しく異なる、というのは果たしてどのくらい普通なのだろうか。とにかく自分の場合、「意外」と思われてばかりだ。いつまで経っても「意外」という言葉を投げかけられる。まあ学生時代は必要なければ他人と喋らなかったし、社会に出てからも最初のうちはそうだったので仕方ない部分もあるが。

 年齢を重ねても性格は変わらず、社会に馴染まないあれこれがむしろひどくなってきた感もあり(人生経験が積み重なれば知識も増えるし、より深く知る・理解することによって若い頃よりも過激な方へ傾く場合があるのだと身をもって知った)、いいかげん他人からの印象も変わっているだろうと思った。
 でもあまり変わってくれなかったようだ。未だに「意外」と云われてばかりで、つい最近また「意外」と云われた。死ぬまでこうなのか? めんどくせえな。

 他人の認識との落差でもっとも面倒なことのひとつが、計画性というやつだ。これは実の親ですらちょっと誤解している部分があるのだが、わたしは壊滅的に計画性がない。「いつまでに何をする」という予定を立てるのが死ぬほど苦手だ。すべてが「いつかやる」で「追い込まれたらやる」である。素晴らしく救いようがない。
 だからこそ、そこまでひどいからこそ、重要なことだけは「追い込まれたらやる」ことと見做して遂行するのだが、そのせいで更に誤解されてしまうという悪循環。いや、ほんと適当だから要点だけでもおさえておかないと人生が破綻するんだよ……。家計の記録をつけ続けているのも、放っておくと浪費を重ねて生活が立ち行かなくなるからだ。
 こういう思考が理解されないのはどういうわけか。説明しても「すごいね」と返される原因がさっぱりわからない。病気にならないよう予防するのと同じなのに。

 で、とにかくそういう計画性がないだけに、編み物についてもなるべく慎重にやってきた。放置することがないよう・無駄に毛糸ばかりが増えないように、という(もともとモノが多くて給料が少ない)。
 そういうことができるならテーブルのカオスもどうにかできるはずなのに、なんでできないんだろうな。
 それはともかく、せっかく慎重にやれていたのに野放図に編むのがいちばんだと気づいてしまったので、計画はすべて台無しだ。考えて、見直して、すべてパー。
編み物計画(かなり無理) | ハチドリの記

編み物計画(かなり無理) | ハチドリの記

 計画といっても、なかなか疑わしい。「こうなったらいいな」の割合が8割くらいだ。それで計画と称してしまうのもどうかと思うが、まあ、計画である。  まずは編み始めたばかりの半袖プルオーバー。それから母に贈るあみぐるみ。このふたつはすでに進行中、いや、あみぐるみは未着手か……「進行中...

9月が終わる | ハチドリの記

9月が終わる | ハチドリの記

 まだあと半月もあるが、「まだ」はあっという間に「もう」になる。だから「まだ」の時点で「もう」のつもりで考えていた方が、ショックは小さい。と思いたい。  ちなみにこないだ編み始めた靴下は、なかなか「もう」にならずに「まだ」である。  まだ、編み始めた日の状態で止まっている。まだ、...


 変更なしは2点。

 まず、あみぐるみは編む。母に贈るから。
 母といえば、今年もお年賀の靴下を編むか。いや少し早めにクリスマスデザインの靴下でもいいかな。

 アルネ&カルロスのアドベント靴下を12月に毎日少しずつ編むのもやる(昨年やって楽しかった)つもりだったが、11月から同形式のKALがあるので迷っている。どっちもやるか片方だけやるか。

Mystery Stocking KAL 2024. Introduction. – ARNE & CARLOS

Designers, textile artists and authors, known for their craft books and their original and visually striking designs.

 欲深いから両方やるに違いない、と断言できないのは、また仕事が忙しくなったらどうしようという懸念があるため。
 ……こんな理由で諦めるのは腹が立つな。よし、もうこれからは「頑張ればできる」というレベルの仕事を頼まれたら「できない」と答えることにしよう。鼻クソほじりながら適当に片をつけたような仕事でも「充分すぎる」って反応されるんだから、本気を出す必要ないしな。

 で、あとはぜんぶ変更……。いちばんでかい部分を変更かよ。ほんと計画性ねえな。