読書に時間を割くつもりが仕事のあれやこれやで読む時間をとれず、そのうちに別件で更に後回しに。それでも合間に少しずつ読み進め、先の週末にやっと読了。編み物自体も先週後半にようやく手をつけ、気分が落ち着かないときにぐだぐだといろいろ考えながら編んだ。
で、まずはSSKをぜんぶK2togに変更した靴下を仕上げた。思っていたより変なことにはならなかったが、隙間があく問題は解決しなかったので、今後もどうすれば簡単できれいに仕上がるか考えていかなければ。
そして履き口の段差もだ。
始末をしたときは多少ましになったと思ったのに、やはり駄目。こちらについても、物知らず特有の奇抜な発想で解決できるかどうか試してみなければである。ほんと些細でどうでもいいことではあるのだが。こんな段差、誰も気にしねえよ。でもどうにかできるか挑戦したくもあり。 ところで、前回編んだ靴下は従妹が大変に喜んでくれた。サイズがぴったりだったそうで、しかし足のサイズは22cmくらいだという。自分の足(24cm)でぴったりすぎるかな、という大きさに編んだのだが、ここは毛糸の伸縮性がうまく機能したということか。でも理屈がよくわからんな。
ルームソックス的に使ってもらえればと思っていたが、サンダル(たぶんビルケンシュトックみたいなやつ)のときに履くとかわいいとのこと。わたしは甲をまるっと覆う靴しか履かないのでその発想はなかった。そうか、サンダルか。模様編みの靴下の意味がわからないでいたが、甲が見える靴を履けばいいということか……
ここから余談。編み物まったく関係なし。
ハリーの詩集は終盤、まるでダダかビートニクの詩かという荒れっぷりでびっくりした。ふざけた気分がちらちらと見え隠れするのもまた驚きで(本人曰く「諧謔」というのも納得。だが同時にすげえイライラしているなとも感じる)、自分が知っている「スライダーズのハリー」の詩じゃねえなと素直に思った。まあ、解散したあと書かれたものなんだから確かに「スライダーズのハリー」ではないわけだけれど。
でもやっぱりさすがにビートニクっぽいというのは、ロックンロールじゃねえだろとも思う。ロックンロールなハリーがビートニクって意味わからん。どれだけ時間が経とうとも「ロックンロールなハリー」という印象が消えないせいなのだろうが、そこはどうにもならない。
ただ、初期の詩もそれなりに深く読んでもいいのかな、と思えた。初期は素っ気ない言葉をぽんと投げ出して裏もない、という印象があったけれど、それでもこれって真意はこういう意味なのか?と普通に文学詩に相対するときのような読み方ができるところが少なくない。しかしそんな深掘りなんかどうでもいいような気もして、果たしてどこまで読み込む類いのものなのか迷っていた。
ビートニクっぽい詩は単なる悪ふざけにとどまるものではない、と確信できるものだったので、こういうものを書く人ならば初期の詩もいろいろ凝縮されているのでは、と考えるに至った。
何度も読み返す羽目になるな。
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