昨日も今日もまるで夏である。ベランダで植木の手入れをしていると、体感温度はそうでもないのに日差しが熱い。まだ4月なのに。
とはいえ汗が止まらなくなるほどの本格的な夏にはまだ2か月ほどあると思うのだが、よく考えるとあと2か月で編めるか? 汗っかき向けのノースリーブ。毎日すこしずつ進めているのでいつかは必ず完成するはずだが、いつだ。
凝った編み方を要する編み図ではないので、編むこと自体は問題がない。しかしまだ着るものを編むことの経験値が少ないせいか、いろんなことが謎だらけである。
今日から何回かに分けて、そういうことを書こうと思う。既にノースリーブは編み進めているが、ゴム編みのあとに増し目をする際に延々と悩んだことを書く。読み返してみればみるほど、なんでこうなっちゃったかなと思う。
世の中には「前身頃とうしろ身頃をまとめて輪にして編む」という技術があるが、わたしの人生初のセーターも、いま編んでいるノースリーブも、編み図の指示は「前とうしろを分けて編め」である。いつどんなときにどちらの編み方をするのか、その区別はどういう理由でなされるのだろう? やっぱりただの好みの問題?
こういうどうでもいいことが気になるのは、まあ性格のせいだ。
あと先日気がついたのだが、ある対象について理解が追いついていない場合、本題から外れた部分に目がいってしまうようだ。理解できていれば対象に没頭できるから本題以外の部分を気にする余裕が生じにくくなるし、理解できなければ他のことに気づく余地ができる。たとえばこないだの投稿のように。
でも、話を戻すが、輪に編むか平に編むかの違いがどう決まるのかは知りたいと思う。
というのも、ノースリーブが完成したかたちは輪なのである。ならば編む過程で意識すべきは前身頃とうしろ身頃がつながった状態なのではないか。しかし技法の説明を読んでいると、完成形を意識せずにやってしまいかねない落とし穴があるように思える。
果たして編み物の世界はそこまでハードだろうか。過去に「増し目の指定がないということは単に『増し目ならなんでもいい』という意味なのか、それとも『こちらに傾く増し目ならなんでもいい』という意味があるのか」と悩んだ瞬間もあったが、本当のところはどうなんだろう。
こんなことが気になっているのは、分散増し目のせいである。
要するに分散増し目っていうのは、バランスよく均等な間隔で増し目をしましょう、ということだ。この解釈でまず間違いないと思う。
でもさ。
前身頃とうしろ身頃って、別々に編むけど最後は脇をとじて一枚の筒にするじゃん?
輪の形状になった編み地で考えると、このやり方だと均等じゃなくね?
……と、余計なことに気がついてしまったので無駄にモヤモヤしている。
なんだよ身頃をまとめるとこまでいま考えるなよまったく、と思う。っていうか合計4目なんだから端っこの方でやっちゃってもいいレベルなんだから細かいことは気にするな、とも思う。
しかし大変残念なことに、気になってしまったのである。物事は部分と同時に全体も見なければ本質を見失う、ということを自分に叩き込んで生きてきたのが仇になった。先の先まで考えたうえで行動するように努力してきた結果がこれなのだ。わたしは後悔などまったくしない人間だが、やっちまったなとは思う。
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