編むものを吊るすという解決策を見出して何日が経っただろう。未だ、編みかけ袋をろくに縫えないでいる。
しかしあれこれ編む手は止まらず、とりあえずテーブルの上にそのまま置いたり(一応、手芸スペースであるテーブルの上はちょっとは整理した)、小さいものは大判のハンカチでくるんで済ませたりしている。
まとめておくという意味ではこれで足りるような気がしてきたな。手持ちの布を適当な大きさに切って端を処理。その気になれば端はほつれ止めピケでどうにかできたりするし……いや、さすがにそこまでずぼらなのは自制しよう。
確か持ち手があるような風呂敷の包み方もあったと思う。それなら吊るせるし。いいんじゃないか、この方法。プロジェクト風呂敷という発想もある。
が、素直に真似をすればいいのにろくでもないことを思いついてしまった。
2007年頃に一時的に編み物をしていた頃に買ったこの本。どれを編もうか迷いすぎて未だに何も編めていないという状況だが、この本に載っている袋編みの技法で、ソックヤーンで袋を編むというのはどうか?
というわけで、どのソックヤーンで編むか。
迷ったので、何度やってもほどく羽目になる気の毒な毛糸を使うことにした。
いきなり目的が横道に逸れたがまあそれはいい。
どういうわけだかこの毛糸、編み方の練習を兼ねてスヌードをそれなりのところまで編んだものの「スヌード使わねえし編み方の練習になんないし」ということでほどき、どこかのブログを参考にスリッパのようなものを編んでみたもののなんだか納得がいかなくて中断し、またもや編み方の練習を兼ねて小さなハンカチを編んでやっとひとつ完成。その後もいろんな編み方でハンカチを編むつもりが、編んだものは小さすぎて使う機会がないうえ意欲が失せたので毛糸は放置。
「気の毒」と書いたのはこういう理由からだ。うまく使いこなせない奴の手元に来てしまって不憫でならない。いやほんとひどいなこうやって書いてみると。
そんな辛い人生ならぬ糸生を味わってきた毛糸の現在はこうである。
実は編むのがけっこうめんどくさい。単純なのに地味に面倒だ。
しかも袋編みの特徴は「棒針2本だけで端がとじられた袋を編める」ということなのに、ちょっとした事情があって輪針で代用するという意味不明なことをしている。輪針を使うのならば、単に筒状に編んで端をとじれば済むんじゃねと気がついたのは何段か編んだあとである。とじはぎが好きなのだから、そっちの方が楽でしかも楽しいんじゃないのか。
……が、もうほどかねえぞ。めんどくさいがこのまま編む。いいかげんこの毛糸ほどくのやめたい。
でもソックヤーンで編むときは輪針で筒に編んで端をとじよう。
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