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遂にレース糸が泥沼状態に

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 編み物をする人は毛糸が増える。

 そんな罠というか「毛糸沼」があるとは聞いていた。
 沼にはまった結果、毛糸を詰め込んだ衣装ケースの個数が2桁とか、所有する毛糸の総重量が3桁キログラムとか、背筋の凍るような恐ろしい話も目にした。遂には「毛糸ってしまっておくと押し入れのなかで勝手に増えるよね」という、おもしろいが洒落にならない書き込みまで見た。
 自分の場合は引っ越し時のダンボールのほとんどが本という、ある意味で毛糸より始末が悪い底なし沼にはまっているわけだが、それをまるごと棚に上げて「編み物を趣味にするのはなかなか恐ろしいな」などと思ったりもした。

 それでいざ編み物が趣味になってどうなったかというと、ソックヤーンを無計画に買った経験を踏まえて、「編むものを決めたらそれに使うために買う」と決めたので自制できていた。
 ……まあ既に一度ソックヤーンで失敗しているわけだが、それがゆえに毛糸を見てぼんやりと「こんなのを編むために使えるかなあ」と思っても、編むものが明確に決まらない状態ではなんだか手が出せない、という思考回路になったので、よほどソックヤーンの山に懲りたのだろう。
 ちなみに手持ちのソックヤーンをすべて並べた画像は、次にどの糸で靴下を編むか決めるために便利なので、スマホのメモに入れてある。で、そのたびに「もう衝動買いはしねえぞ」と自動的に肝に銘じるようになった。

 が、ドイリーを編むことに興味がわいたら危機が起きた。
 その端緒は缶入りエミーグランデをふたつも買ってしまったことだった。いま読み返すと自分を正当化することに必死だなと思うが、もしかしてまたレース糸を買ってしまうかもしれないと己を疑いつつ、同時に「そんなにレース編みにはまらないだろうな」と思っているような節がある。
 というのも、まずドイリーに対して実用性を見出しておらず、単に編むことが楽しいだけで、自分の本来の編み物の目的は実用性がある靴下やセーターを編むことだからだ。レース編みのショールなどには興味がないので、ドイリーを編むのはゲーセンで100円玉を消費するみたいなもの。たまの娯楽にすぎないだろう、だからレース糸もそう増えるまい、と。

 それがもう少しまずい雰囲気になってきたのは、笠石あきさんの本が出たこと。つまり編みたいものが一気に増えたので、それに伴って追加のレース糸が必要になるだろうと思ったのだ。しかもエミーグランデの大正ロマンシリーズに惹かれてもいて、レース糸を増やす理由ができてしまった。
 しかし、それでもまだこの時点で大物を編むのはもっと先の話。編みかけがいくつかあるし、練習と称して編む小さなドイリーのデザインは12点を予定しており、まだこの時点で編んだのは1点のみなのだ。

 次にレース糸を買うのはいつになるんだろうな。
 と思うことすらなかった。そのくらい、ドイリーをひとつ編むだけで充分に楽しくて満足感があり、それでいて必死に次々と編むということはなくて、レース編みとは適度な距離感を保っていた。

 のだが。
 タイトルにある通り、気がついたら泥沼にはまっていた。
 大正ロマンシリーズの50g玉と10g玉(10g玉のうち1種類は既に持っているので買わなかった)。

 なんだこれ。
 おまえレース糸のコレクターかよ。50g玉だけでいいのになんで10g玉まで買ってんの。バカじゃね。